2005/12/05

大阪とサッカーと野球

2002年日韓ワールドカップが開催されていた頃、日本vsチュニジア戦を見るためにある日、私は大阪長居競技場に向かって新幹線に乗っていた。

その頃東京は、試合が東京で開催されることは無いにもかかわらず町全体がワールドカップに浮き足立っているようだったし、数々のテレビつきの店が日本戦以外の試合も流していた。そして少なくとも、私が観戦に行った横浜や鹿島も同様であったし、人に伝え聞くところに寄れば静岡や新潟や札幌も同様であったらしい。テレビの内容もワールドカップに関わるニュース一色に近い状況であったし、正に日本中がサッカーの祭典に沸き立っているように思えていた。

もちろんこれから試合を見に行く私自身が沸き立っていないわけが無く、もはやその時点で本戦出場の道が開けているとはいえ、日本代表が有終の美を飾ってくれることを願いつつ興奮状態で新幹線に乗っていた。

やがて新幹線は新大阪に着き、日本で2番目の大都市であり、本日試合が行われる大阪市に降り立ち、競技場に向かうべく電車を乗り換えようとして、そして何か違う雰囲気を感じたのだった。日本代表を応援するべく、青のレプリカユニフォームを着たサポーター達が街を闊歩している姿は、東京或いは横浜そのほかの都市と変わらないのに、何か違う雰囲気。───しばらくして私はその違和感を理解した。




大阪の街は冷静だ。




あの浮き足立ったような東京とは打って変って、大阪の町は青いレプリカユニホームの一団に、特段興味はむいていなかった。ワールドカップは、大阪の町を盛り上げてはいなかった。もちろん、0ではないとは思う。しかし他の都市と比べて明らかに低いテンション。なまじ大阪人はテンションの高さが印象にあるだけに、そこにものすごく不思議な思いを抱き、そしてふと思ったのだ。




大阪は、阪神でないと盛り上がらないのではないか。




これはやや確信に近かった。大阪は、東京ほどミーハーになれ切れない大阪は、まだまだ野球が一番で、腹の底から盛り上がれるのはどんな成績を示しても嫌うに嫌えない阪神タイガースが優勝するときなのだと。その当時は阪神が低迷していた時期だけに、その思いは余計強くなった。高々一過性の流行で終わるかもしれないサッカーに、そんな熱狂していられるものかと。そんな無駄なエネルギーは使えるかと。野球こそ、阪神こそ命。


その日試合は日本代表が勝ったわけだが、試合があった大阪よりも、新幹線で数時間後降り立った東京の方がよほど大騒ぎなのを目にし、やはり前述の思いを強くした。そして、なんだかんだ言っても「きっと日本全体を見れば大阪の感じ、な人の方が多いのだろう」と感じ入った。

ワールドカップ開催は、サッカーが日本に根付く為の序章にしか過ぎないのであり、まだまだ日本は野球文化のほうが強いのだと。そしてワールドカップこそ盛り上がっているが、Jリーグはまだまだ地味な存在であることを振り返るにつけ、サッカー好きな(ちなみに私は野球も好きであるが)私としては、野球という存在が非常に強大に見え、ミーハーなお祭り騒ぎへの便乗を反省させた。サッカーが、野球と同等に当たり前のように存在するようになるのはいつのことだろうか、とおそらく遠い未来に思いを馳せた。


多分、判断の試金石として大阪の町は最適であろう、とおぼろげながら思い、その実現は遠い遠い先に思えたのだった。




そんなことを、思ったのが3年半ほど前の話だ。




そして今年2005年。Jリーグは近年まれに見る緊迫した優勝争いになった。代表戦は見るけどJリーグはね、といっていた人までちょっと見てみようかなと思わせるような、そしてサッカー好きとしても自信を持ってお勧めできるような最終戦を迎えた12月3日土曜日。5チームが競合し、かつて無い熱戦を繰り広げ、最終的には大阪同士の争いとなり、サッカーの町浦和や鹿島のサポーターのため息を受けながら、ガンバ大阪が優勝を決めた。



そして、画面を通してでしかないものの、明らかに大阪にもサッカーが根付きつつある興奮を見た。3年前、遥か先に思えたサッカーの根付いた未来は、選手達監督たちの頑張りで思いのほか早く進んでいることが感じられた。確実に、日本のサッカーは実力も文化も成長している。明らかに成長している。最終戦の結果よりも何よりも、それをただただ、うれしいと強く強く実感した。




ガンバ大阪、優勝おめでとう。

浦和レッズ、残念でした。

でも、最終戦4-0は夢を見せてくれたし、感動しました。

来年も興奮する試合を待っています。






まあとりあえず、私のサッカー観戦は元旦の天皇杯決勝から。

毎年、行っています。

来年も、行きます。

(予選も、見ています)

2005/11/27

イングリッシュデバイド

ほにゃららデバイド、というとまあ「デジタルデバイド」が有名だ。


「IT技術を使いこなせる人と使いこなせない人の間に発生する、情報の量や質、待遇や機会、貧富などの格差」のことであるが、昨今私個人において逼迫している「デバイド物件」は、英語である。

まあ、今まで目をつぶっていただけでコレまでの人生のさまざまなポイントにおいて「英語が出来ないばっかりに取得できなかった情報、享受できなかった楽しみ」などが多々あるのであるが、どうもそういうシチュエーションが増えつつあるのである。


そもそもデジタルデバイドについては「IT技術が使いこなせない」という中に「お金が無い為にそもそもIT技術を教授する為の機器が買えず、それゆえにさらに格差が広がっていく」とか「何らかの肉体的な障害を持っているために、IT技術が取得するのに困難な状況があり、それゆえに格差が広がっている」とか、社会的事情というものがはらまれている。故に問題視され、解決されることが社会的に、いや世界的に望まれている。世の中を便利にする技術が、一方で世の中の不幸を深めているのだとしたら、それは大問題だからだ。


とはいえデジタルデバイドは私にとってあまり関心ごとではない。少なくとも今現在は、その恩恵を享受できない環境に無いからだ。そう、困っていない。そして困っているのは英語である。

ことネットの世界に足を突っ込んでいると、どうしたって海外の早い動きをつかむ必要があるのだが、英語が苦手なばっかりについつい蔑ろにしてしまい、置いていかれがちなのである。親切な日本人が、翻訳してどこかに載せてくれるまで、私はそういった情報を摂取することが出来ない。 今のところかろうじて、待遇や貧富にまでその影響は及んでいないわけであるが、いずれそうも言っていられないかもしれないと思う今日この頃である。




というわけで、意味も無くイングリッシュデバイドと名前を付けてみた






略してED <それは違う。






しかしこの私が問題にしている「ED」に関しては、少なくとも日本においては誰も彼もが中学のときから必修科目で勉強しているのが現実であり、デバイドも何も機会は均等に日本国民に与えられているのである。

そして結局、日本において英語教育がある程度均等に行われている以上、チャンスを生かさずに今のデバイド状態を生み出したのは私自身の責任においてなのであり、社会問題になることも無く、イングリッシュデバイドがマスコミに取り上げられることも無く、ましてやEDと略されることも無く、さびしく私の中でのみ消えていく言葉なのであろう.................。





で、何でこんなことを突然書いているかというと、最近のソニーの広告にある 「like no other」という世界共通スローガン(?)の訳し方にいまいち確信が持てずに、挙句辞書を引くという体たらくな自分がいるからである。

何をいつごろ教わったのかは忘れたが、コレって中学英語だったような気がする。ついでに言うと、辞書を引いてもいまいち確信が持てないのであるが........。「唯一無二」とかいう意味でいいのだろうか?


大きな企業が、英語のスローガンを掲げるのを見たときに「これ、まあコレぐらいの英語ならみんなわかるんじゃないかっていう議論の果てにコレになったんだよなあきっと..............それすらわからない自分って一体」と思いつつ、わからない、或いは確信の持てない自分に涙が出そうになる。




ああ、標準以下の英語力。

というか、イングリッシュデバイドという造語を作っている時点で駄目駄目な感じを積み上げている以外のなにものでもないのだけれどね.........。

2005/11/26

その記号性に何を見るか

「それは一体何に見えるのか」


ロールシャッハテストにおいては、その発言が心理的な側面を表すとして回答により色々と診断されるわけであるが、果たして「明らかに明確なもの」を別のものに見てしまった場合も、診断方法があるのであろうか。




とある仕事で、「扉」という意味を含む制作プロダクションさんと同席になり、名刺を貰った。制作プロダクションらしい、イラストが配置されている名刺だった。

一瞬、そのイラストに「なぜこのイラストがこの会社の名刺にあるのか」と疑問を持った私だったが、打ち合わせに突入してしまったのもあり、そのまま忘れていた。忘れたまま打合せは延々と過ぎる。数時間が経過した頃、そして既に深夜に突入している時間帯、打合せの方向性がようやく見え始める。

ついにその日の打ち合わせは終焉を迎え、片付けつつ名刺を手帳に挟もうとしてふと再度目を通し、そして会社名とイラストを見比べてようやく私はイラストの意味に気付く。




「あ、この名刺のイラスト、鍵穴なんですね。そっか、扉だから。」
「そうですね、鍵穴です」





ここで、会話を終わらせておけばよかったのだ。
しかし私は言葉を継いでしまった。



「なんで名刺に前方後円墳があるんだろうって不思議だったんですよ」



.........場の一同が沈黙したことは言うまでもない。
※教訓:疲れに任せて思ったことを口に出してはいけません

2005/07/05

湿度と彩度を思う季節

梅雨である。
気圧が低いのである。

気圧が低いと古傷が痛むのであって、ゆえに体の節々の調子が悪く、全体的に緩慢な動作となり、のろのろとダルーイ感じとなり、そのダルさがやがて気分的なものにまで繋がり、要は「体調が思わしくない」のである。ちなみに同じ理由で、台風の季節とか雪の季節なども具合が悪かったりする。全て気圧の変化から来る骨に対する影響で、その骨の古傷とは、肋骨と膝と肘である。


さて、ただでさえこう、体調が思わしくなくずーんと暗ーく澱んだ心持ちになっているのに、さらに輪をかけて気鬱にさせるのが建物の色の彩度の低下である。

その昔、横浜に勤めていた頃、象徴的な建物と言えばランドマークタワーであった。そして、ランドマークタワーの外壁はグレーっぽい石でできている。石は水を含む。石であれ布であれ、自然物というものは水を含むと色が暗くなる。故に、雨が続くとランドマークタワーの外壁全体が水を含み、ランドマークタワー全体が「暗めのグレー」になっていく。普通の季節なら、一回雨が降って暗くなってもその後の晴天で乾き、乾燥した白っぽい「石らしい色」に戻るのであるが、梅雨だとそうはいかない。

連日の雨で水分含有量は日増しに増え、たまに雨が降らなくても湿度が高く、含んだ水分を乾かすには至らない。そしてどんどん建物の色は暗くなり、そしてその暗さの効果をさらに高めるかのように、暗く低い雨雲が空を覆う。

そして、ランドマークに限らず石やうちっぱなしのコンクリで出来ている建物は総じてそのような暗さを梅雨の時期に保有しつづける。そんな暗さを保有する建物がそこら中に溢れる。


私個人の心持も暗ければ、街も暗い。
全てが澱んでいるようなこの気鬱なかんじ。


だるい。


こうして梅雨がやってくる度に頭に浮かぶのが、木の建物と石の建物と雨の関係である。

修学旅行で東大寺に行った時、私は生憎の雨と相成った。が、同じ観光地でも、ロンドンやニューヨークの雨は気分を気鬱にさせたが、奈良や京都の雨はそれはそれで風情として捉えられるような気がしたのだった。思い起こせば、木造住宅の祖母の家ですごす梅雨や夕立というものは、外で遊べないという不満はあったものの、それ自体はさほど気鬱ではなかった気がする。

そうやって記憶をたどっているうちに、湿度が高い南国の地もまた、建物の多くが木で出来ていることを思い起こす。頭に浮かぶのは、水を含んだ状態の木が、艶こそ増すものの気分を暗くさせるさせるような彩度の低下には至らない光景だ。

ああ、温暖湿潤である日本において、石で出来た建物に囲まれて暮らすと言うのは、生物の営みとして何か反する方向へは行っていないかと、雨が続く季節になるたびじんわりと思うのである。まあ、こんなことを鬱々と考えてしまう事自体既に、梅雨という季節に負けているだけなのかもしれないが。