2012/06/03

輪るピングドラム、遅れてきた考察

もう昨年末のこととなってしまったが、輪るピングドラム全24話が完了した。この半年間、眠い目をこすりながら金曜の深夜に見続けたアニメが終わってしまった。
個人的には、元々のペンギン好き属性をくすぐるような4匹の可愛さに完全にやられて、ストーリーそのものそっちのけで無条件に受け入れていたことは否めない。何だかよくわからないまま終わっても「まあ今日もペンギンは可愛かったからいいか(;´Д`)」と流していた。

でも、本当に本当に終わってしまった。
ペンギン4匹に萌えることで、結果的に刹那に意味理解をやり過ごして逃げ続けた半年間は終わってしまった。
様々な符号、暗喩、寓話的表現。様々な伏線、謎、フェイク、あるいはこちらの思い込みなだけで伏線でも謎でもなかったもの。何がどのように回収され、解決され、結局どういうストーリーだったのか。根底にあったテーマ、監督が伝えたかったのは何なのか。
解くべき問題は山のように積まれていた。
しかも、輪るピングドラムが積んだ山は大層高かった。

ネタバレサイトを読み漁るのもいいな、と思った。
考察ツイートを探しまくるのもいいな、と思った。
でも、自分でも考えたい、自分なりの結論を出したいと、沸き上がってくるものがあった。結果私は、年末年始ひたすらペンギンのことばかり考えて暮らすことになった。そうして至った自分なりの結論が、以下である。


(`・Θ・´)以下、壮大にネタばれしつつ進行…(・Θ・)


最後ペンギンは、4匹揃って二人の少年の後ろをひょこひょこ歩いてついて行った。
私はあれに、どうにも引っ掛かってしまったのだ。
最後のシーンだからこそ気になる。
適当に4匹並べたのではないだろうと勘ぐってしまう。

「ペンギンは4匹揃っているのが美しい形だった」のか?
「ペンギンは4匹揃っているのが本来の形だった」のか?
何故?


輪るピングドラムは宮沢賢治の銀河鉄道の夜がモチーフだと言う。

実際、再三登場した地下鉄社内が突然暗転し不思議な光で満たされるのは、銀河鉄道の夜に出てくる描写を形にしたかのようだ。
第一話そして最終話で登場する二人の少年は、銀河鉄道の夜におけるりんごの役割を語りながら通り過ぎる。最終話では「蠍の炎」という言葉も、そして実際自分の身を代償にして焼かれてしまうシーンも現れる。冠葉と晶馬はカムパネルラとジョバンニをもじっているのだろうし、真悧はザネリだろう。
銀河鉄道の夜では現世と異世界を結ぶ出入り口として「石炭袋」という言葉が出てくるが、これは今で言う暗黒星雲のことで「空の穴」という呼び名もある。大量の図書が並び、正に現世と異世界の中間のように登場する「空の孔分室」もここから来ていると思って間違いない。透明な存在の象徴としてあふれるガラスの破片は、銀河鉄道の夜、あるいは他の宮沢賢治作品に出てくる水晶の欠片をひどく思い出させる。
……まあ、ここまで揃っていれば間違いなく銀河鉄道の夜は「物語に関係有るもの」だろうと結論づけられるだろう。

しかし考えても考えても銀河鉄道の夜と4匹の関係性は見いだせない。
……意味は、ないのかもしれない。
本筋とは関係ないパーツなのかもしれない。
考え過ぎなのかもしれない。

そんな風に切り捨てようとした頃、ふと突然思い出した話があった。
ギリシャ神話のふたご座の話だ。

ふたご座の神話はカストル(兄)とポルックス(弟)が主人公だ。
スパルタの王妃レダが、白鳥の姿をした大神ゼウスと交わって2つの卵を生み落とす。1つの卵からは兄カストルと姉クリュタイムネストラ、もう1つの卵からは弟ポルックスと、妹ヘレネの4人の子供が誕生する。このうちカストルとクリュタイムネストラは普通の人間なのだが、ポルックスとヘレネはゼウスの血を引く不死の身体なのだ。
カストルとポルックスの兄弟がとても仲良く育つ中、ある日戦いで兄カストルが死んでしまう。弟ポルックスも負傷するが、不死の体なので死ぬことはなく、ただただポルックスは兄の死を激しく嘆き悲しむこととなる。父ゼウスが哀れに思い、ポルックスを天上に連れて行って神の一員にしようとするのだが「兄と一緒でなくては嫌だ」と応じない為、仕方なくゼウスはカストルにポルックスの不死性を半分分け与え、1日おきに天上界と人間界で暮らすことにするのだ(最終的にはやがて二人は星になる)。

酷く似ているではないか。

そもそも双子の話であること。
冠葉と真砂子、晶馬と陽毬と男女がペアになっているあたり。しかも兄(冠葉)ペアの方は普通の人間であることに対し、弟ペアの方は神の子(教祖の子、扱い)であるあたり。先に死ぬのは兄、命を分け合うのは弟のあたり。双子が最後半分(神話では日替わりの存在、輪るピングドラムではさらに子供化=年齢が半分?)になるあたり。

「銀河鉄道の夜がモチーフ」に引っ張られすぎていたけれど、実はストーリーの根底にあったのはふたご座の神話の方だったんじゃないだろうか?

そんなことが引っかかりつつも、まずは銀河鉄道の夜を読もうと青空文庫に手を伸ばした。ちゃんと読むのはおそらく25年ぶりといったところか……。小学生低学年以来、のような気がする。それぐらいの昔だ。

さて読み終わって最大に驚いたのは、私が記憶していた銀河鉄道の夜と、現在発行されている銀河鉄道の夜は相当違う話という事実だった。
何せ、物語のキーマンが一人消えているのだ。さらには、カムパネルラは死んだか死んでないかわからない形でぼかされて終わっていたのに対し、明確に死んだことを予感させて終わるのである。あまりの違いっぷりに自分の記憶違いを疑ったが、調べてみるとどうやら私の記憶は記憶で確かなようだった。

宮沢賢治は、銀河鉄道の夜に関しては全部で4つの原稿を残している。1980年代に研究者たちによって最後の第四稿を中心に編纂が行われ、それが現在出回っている銀河鉄道の夜という作品だ。しかしそれより前は、第一稿〜第三稿も含めて混濁した、かなり適当な編纂のものが出回っていたそうだ。1976年に生まれ、小学校低学年の頃に図書館で銀河鉄道の夜を借りた私は、おそらくその混ざり合って適当な旧バージョンを読んでいるのである。

そんな訳で、改めて新旧両方のバージョンを入手して読みなおしてみたが、いやはや相当異なっていた。
旧バージョンでは、物語の狂言回しとしてジョバンニが信頼を寄せる「博士」が登場し、銀河鉄道にジョバンニをのせたのは博士の実験であり、ジョバンニの思慮を深くするために役立ったという様な展開で終わる。カムパネルラは確かに途中で鉄道から消えてしまうが、その後それについて特に言及されることはない。こどもの頭で読んでいれば、ジョバンニが不思議な体験をした話、として収まってしまうものであり、カムパネルラについても「消えたなあ」ぐらいのもんなのである。
しかし新バージョンでは、カムパネルラのお父さんは明確に息子の生存の諦念を口にする。「もう駄目だめです。落ちてから四十五分たちましたから。」この上ない衝撃である。そもそもこのお父さんの冷静過ぎる態度に驚愕することはさておき、このセリフによって、銀河鉄道で消えた人たちはすべて死者なのであるという気付きが最後にやってくる。

私の記憶していた銀河鉄道の夜とは一体何だったのか?

おかげで私は銀河鉄道の夜だけでなく、宮沢賢治周辺の書籍まで各種読み返す羽目になってしまった。銀河鉄道の夜だけでなく、私が記憶していた宮沢賢治とは何だったのかと。
しかし同時に思ったことがある。輪るピングドラムの監督、幾原邦彦さんは私よりさらに12歳上の人だ。同じ体験をしなかっただろうか? モチーフにしようと思って読みなおしたものが「自分の記憶していたものとぜんぜん違う」という体験を。そして、宮沢賢治全体を調べる羽目にならなかっただろうか?輪るピングドラムを一視聴者としてみている私でさえもこうなのだから、作り手側である監督がそうでないわけがない。


さて話は戻る。ふたご座のギリシャ神話だ。
宮沢賢治は星座と宇宙の話が酷く好きで、星座をモチーフにしたギリシャ神話も好んだし、自分で星座に物語をつけることもあった。そして物語として好んだのは、無償の愛の話。
銀河鉄道の夜に登場するさそり座の炎の話は、宮沢賢治自身がつむいだ星座をモチーフにした無償の愛の話。ふたご座のギリシャ神話の話は双子の弟による兄への無償の愛の話だが、宮沢賢治自身が特に好んだ神話だったという。(ちなみに宮沢賢治による「双子の星」という作品は誤読されやすいがふたご座の話ではない)

もしや、ストーリーの軸はギリシャ神話のふたご座の話であり、その上にモチーフとして銀河鉄道を彩らせただけなのでは?

ではテーマは?
単純に考えて無償の愛……?
いや、本当に?


アニメ放映中盤頃、テーマは記憶だと思っていた。記憶消去の赤玉、記憶復活の青玉が出てくるし、運命の乗換とは記憶の抹消的な話なのではないかと捉えていたのだ。

しかし、考えていくうちにタイトルの「輪る」にひっかかる。
それは「記憶は輪らない」から。

記憶はデータベースであり、蓄積されるもの。記憶をつないでもストーリーになるだけで1方向のベクトルに伸びるのみだ。涼宮ハルヒの夏休みのように、あるいはほむら暁美の最後の1ヶ月のようにループしない限りは輪らない。そして輪るピングドラムはそんなループはしない物語だった。

輪っていたのは何だろう?
物語のテーマを考えるにあたり、ここは重要なポイントなのではないかと考え始めたのだ。

輪るもの。
例えば関係性。

最後に運命の乗換をする前は、実は3人で1セットになっている。そして3人の内1人or2人が、他の3人セットと重なりあい、3人セットの関係性の輪が広がっているのだ。
冠葉と晶馬と陽毬、晶馬と陽毬と苹果、苹果とお父さんとお母さん、お父さんと新しいおかあさんとその子供。
冠葉と晶馬と陽毬、冠葉と陽毬と眞悧、冠葉と眞悧と真砂子、冠葉と真砂子とマリオ。
苹果と桃果と田蕗、桃果と田蕗とゆり、田蕗とゆりと苹果、田蕗と苹果と晶馬、苹果と晶馬とゆり。
冠葉と晶馬と陽毬、陽毬とヒカリとヒバリ。
あげていけばキリがない。とにもかくにも、3人1セットの関係性が他の3人1セットと絡みながら、時には素敵な関係として広がり、時には重苦しい関係として重なりあうのだ。

しかし運命の乗換の後は関係性の重なりは全て消え、2人組の孤立したペアになってしまう。
苹果と陽毬、真砂子とマリオ、田蕗とゆり、晶馬と冠葉を彷彿とさせる少年2人、ダブルHのヒカリとヒバリ、あるいは物別れになったが眞悧と桃果。
運命の乗換の瞬間、鉄道の連結が切れるのが全てを象徴するかの様に、重なり合っていた関係性は絶たれてしまう。そしてそれを象徴するかのように、タイトルの出るエンドカットで「24」という数字の周りを巡っていた輪は消えている。

人というものは普通、生きている限りは何らかのしがらみが生まれてしまうものだ。血縁、地縁、同級の縁、仕事の縁、趣味の縁、様々なところで発生する繋がりは日々面倒なものを運んできつつも大切なものでもある。
陽毬が「生きているのは罰をうけるということ」と言ったけれど、でも罰という言葉の禍々しさに対して、例にあげられたのは日常的なちょっといらっとする程度のささいなことばかりだった。自分周辺に広がる縁が運んでくる、日々のちょっとだけ面倒だなあと思うこと、しがらみを「罰」と呼び変えたのではなかろうか? そしてそういった縁は、打算ではなく小さな無償の愛の絡み合いによってつながれている。

物語では最後、運命の乗り換えをしたらその面倒な縁は切れてしまった。フィクションにありがちなご都合主義はなりを潜め、最後の最後まで犯罪者の子供は犯罪者という重くのしかかり続けたしがらみでさえも、最後は絶たれた。
しがらみはなくなり自由快適な関係になった。
でも一方でさみしくない?
縁は面倒な事、辛いことも沢山運んできたけど、でもさみしくない?

実際作中では、縁を切られた子供たちはこどもブロイラーに送られ透明な存在へと向かっていくシーンが繰り返される。陽毬が同様の方向に進もうとした時は酷く切なかったではないか。そして晶馬が新しい縁を陽毬と繋いでくれたときは酷く嬉しかったではないか。その後陽毬に、犯罪者の子供というまた別の縁が降り掛かっていたのだとしても。

面倒な事が全てなくなった世界と、
しがらみだらけだけれども縁がある世界。
どちらが充実して幸せなんだろう?
まるで現代日本が抱える無縁社会と有縁社会の問題を象徴しているかのような。
こどもブロイラーは無縁の暗喩だったのかもしれないとも気付く。


そんな中ふと、細田守監督が数年前サマーウォーズについてとあるイベントで話していたことを思い出す。
「別にセカイ系を否定するものではないのだけれど(個人的に好きな作品はたくさんある)、目の前のお父さんを克服したら幸せになるとか、目の前の敵を倒したら世界平和がやってくるとか、世の中はそんな単純にはできていないと思う。主人公は様々な関係性によって支えられていて、それぞれの関係性を解決しながら成長することによって、その先の幸せを獲得できるということを、大家族を通して描きたかった。」と。


輪るピングドラムもまた、形を変えた同様のメッセージを感じるのだ。


結論はないのだろう。
結論はないのだけれど、どっちがいいんだろうって考えて欲しい、悩もうよ、あがこうよ、ってメッセージだったのではないかなあ、と思ったのだ。
現実の世界では、輪るピングドラムの世界のように都合よくしがらみは切れない。生まれつきの縁と、時を経ながら作った縁と共に生きていくしかない。だからこそ、目を背けてはならず、一生向き合うってことが生きるってことなんだと。
そして宮沢賢治。彼は「ほんとうのしあわせ」を一生かけて考えた続けた人であり、まさに社会と人の関係、社会システムが生む歪と人の不幸を悩み続けた人だった。彼の人生もまた、輪るピングドラムのテーマの根底に据えられていたものではなかったろうか。

奇しくも2011年を象徴する一文字が「絆」であったように、2011後半を彩ったアニメ輪るピングドラムもまた、縁を巡る……要は絆を巡る話であったのではないだろうか。ただし絆にも、良い面と悪い面があり、その上でどう捉えるかを考えなくちゃいけないんだ、と投げかけていたのが新しかったのではないかと思う。単純な無償の愛、単純な縁・絆の礼賛では終わらない所が。

物語では最後、縁が紡ぐ輪が綺麗に切れて2人組だらけになってしまったけれど、くまのぬいぐるみを通じて陽毬ちゃんとの重なりがかすかに残る。
そしてそのぬいぐるみが運んだ縁は、最後ベルトコンベアから落下の方向に進んでいた1号2号の箱に、3号が入ったことによって逆流して取り戻したものだった。あれはとても希望の象徴のように見えるシーンで、それはやっぱり、縁は……絆はあったほうがいいよ、と言われているように感じられたのだった。


輪るピングドラムは絆と向きあいながら前に進む物語である、
そう、まとめたいと思う。

2012/04/11

素数と素材とアホ夫婦の話

今日は2012年4月11日。

1年前の今日、2011年の4月11日というのは実を言うと私が婚姻届を提出するはずの日でした。何故その日にしようとしていたか、というと20110411が8桁素数だから。何となくほら、8桁の素数って珍しい感じでしょう?

そもそもなんで素数を持ち出したかといえば、2011年は久しぶりに素数の年だという話を聞いたからでした。2011年に結婚する予定だった関係で、折角年号が素数なら、日付も入れて8桁素数の日に入籍したら面白いかも、とかまあそんな単純な理由です。加えて、私の誕生日が比較的素数づいているというのもありました。誕生日の1976年4月7日、19760407も素数なのです。このめぐり合わせもあって、何故か私は昔から素数に心惹かれているものがあったのでした。

そんなこともあり、2011年が素数と聞けば、その年に結婚するのも何かの縁だと8桁素数の日を探し、まあ会社とか知り合い等への報告の日程や3月末の親族だけの結婚式なども考えて3月か4月か……と思っていたら、3月11日にあの震災がやってきたのでした。

今となっては定かに覚えてもいないのですが、会社の上司などに報告した翌々日ぐらいが3月11日だったように思います。震災以降雰囲気が一変して結婚だの何だのという話題をする状況でもなかったこともあり、誰に報告して誰に報告していなくて、誰がうわさ話で知っていて誰が知らないのかは全くわからなくなり、まあその辺り厳密に管理したいタイプでもないので素で放置を選択しました。(そのせいで、3列向こうぐらいに座っている比較的席が近い人が夏まで知らなかったという展開を生んだりして色々焦りましたがw)

そして3月末に予定していた親族だけの結婚式、これも「とりあえず延期」になりました。夫の実家が盛岡で、新幹線復旧まで東京にでられないというのもありましたし、まあそもそもそんな気分ではないというのが大きかったです。新幹線自体はJR東日本の尽力のおかげで比較的早く復旧する予定が見えていましたが、心情として「上京して祝い事をする心の余裕が無い」という方が大きく、それに関してはもう待つしか無いので結婚式会場にも「申し訳ないが無期限延期にして欲しい」とアバウトなお願いをすることになりました。

アバウト展開は更にもうひとつ。入籍ぐらいは先にしておこうとしたものの、夫の戸籍謄本は盛岡から取り寄せなくてはなりません。しかし震災の混乱の真っ只中でそんなことを役場に請求する状況でもないと思われたので、それもちょっとしばらく置いておこう、となりました。

こうして全てが宙に浮き、フワフワとした状況で成り行き任せで進むしか無くなったのですが、まあ元々アバウトな性分ですし、むしろきっちり日程を固めて進める冠婚葬祭関係が苦手だったこともあり、これ幸いと前向きに……いやむしろ積極的に受け止めていたのでした。なんかこう、全てがグダグダになっていく感じもまた自分達らしいなと、そんな心持ちでさえありました。

そんな中、盛岡から思いの外早く戸籍謄本が届くことになります。だったら4月に入籍だけはしておくかと考えたのですが、今思うにやっぱり震災で何らかの冷静さを失っていたんだと思います。2011年の4月の素数日といえば20110411か20110429なのですが、何故か「4月17日だ」と思い込んでおり、さらに事前確認や事前検算もしなかったためにそのまま突き進みます。当然ながらその思い込みのまま、結婚指輪の刻印も20110417になりました。

ここで余談になりますがちょっと指輪の話もしておきます。結婚指輪といえばプラチナか金が定番です。が、金属アレルギーが結構心配な私は、プラチナや金に微小に混ざる他の金属(パラジウムとか銅とか)が気になり始め、その辺りから調べ物スイッチが入ってしまったのか、アレルギーに影響を与える金属のイオン化傾向について色々調べることとなりました。そして行き着いたのがタングステン。ダイヤモンドと同等の硬さと言われる、金属で最も固く、そして重い素材。イオン化傾向も非常に低い。なんて萌える……。しかもタングステン製の指輪というものが世の中にはあるのです。知った時から素材萌えの世界に突入している私達は、もう結婚指輪はこれしか無いという想いでいっぱいでした。ついでながら、元素記号が「W」なのも気に入りました。ネットで「笑」を表す「w」だなんて、全くもって自分達向きではないですか、と。

調べてみればタングステンはその硬さから、絆の堅さを象徴するとして欧米では結婚指輪に選ばれることもある事も知ります。世間から素材萌えは理解されづらくとも、金属の硬さに絆の堅さへの思いを込めましたといえば、なんという素晴らしい言い訳……いやいや、立派な理由になることでしょう。そしてタングステンは貴金属扱いではなく工業製品扱いなのでまあなんと安いこと。1本4980円、2人分でも1万円行かない指輪に刻印を入れてもらい、さらには楽天で購入するというテキトーさ。でもまあ何もかもこのユルさが自分達であろうと、そんな気分でありました。

さて話は戻ります。そうして私達は4月17日に役所に書類を届けた後に、意気揚々と「20110417という8桁素数の日の本日入籍しました!」的な宣言をtwitterやFacebookなどでするわけです。



違うのに(笑)!!!



しかも恐ろしいことに誰も確認しないので、20110417は8桁素数の日だと勘違いされたまま情報はどんどん拡散します。さらには「素数の日は割れない日、結婚記念日に選ぶなんて素敵ですね!」などといったメッセージを貰い、夫婦して「なるほどーーー!!!そんなこと思いつきもしてなかったけど、何かその理由リア充っぽいしもっともらしいから、そういう事にしておこう!」と採択。指輪も硬い素材で割れないし、結婚記念日も割れないし、なんて考えつくされた入籍日であることか!素晴らしい事この上ない!万歳!



「19×1058443」でおもいっきり割れるのに(爆笑)!!!



そうして勘違いしたまま数日経ったある日、何故か突然私に不安の波が襲って来ました。恐る恐る演算すると……そうです、19で割り切れることに気づくのです。気付いた時は正直な所頭真っ白になりました。茫然自失もいいところです。愕然と膝を落とすとはこのことかと真剣に身にしみました。あかん、これはあかん!穴があったら入りたい、というのもあるけれども、それにしても一生に一度の記念日が思いっきり由来とずれてるとかどんだけグダグダなんだと(笑)。いやいかにも自分達らしくて笑えるのですが、それにしてもひどいと。今更「ごめん、素数日じゃなかったみたい間違ってたわー」とか訂正するのも何ですし、地獄のミサワも真っ青展開です。もうどないせーっちゅーねんと。





まあ、そんな思いを1年抱えながら過ごしてきました。2012年4月17日が迫り、結婚一周年を思えば思うほど「あああああああごめん、去年のこの日素数じゃなかったわ!あんな格好良く宣言したけどサ!」と笑いを取りに行くか、そっと黙って流しておくかの選択に迫られている気分になっていたわけです。正直な所、人の結婚記念日など普通は覚えていないものですから、このまま皆の記憶の消えるに任せようなどと思っておりました。全てがグダグダの笑いにまみれたこの結婚記念日は、夫婦のみの笑い話としてしまっておくつもりでした。

ところが先日、今年の自分の誕生日20120407が素数であることに気付いたことから、素数日熱が再燃します。もともと19760407が素数なのは知っていたのですが、47も素数、そう言えば昭和51年で組み合わせて5147も素数、197647も素数であることに気付いたのです。

そしてふと「20110417ではなく、2011417だったら?」と、演算してみると……素数なんです。素数だったんですよ!8桁だと違ったけど、7桁だったらやっぱり入籍日は素数だったんです。単なるアホ夫婦の間違い話で終わるはずだったのに、結局素数を引いてるんです。これに気付いた日の晩の帰宅後に「ねえねえねえ!去年の4/17だけどさ!」「何」「7桁にすると実は素数だったよ!」「mjd?!?!」「mjd!!!!」という会話をしている時点で色々間違ってるだろうと思えてならないのですが、でもまあ指輪の素材と入籍日をあわせて「割れないものを選びました」とかリア充ぶった世間様も納得の逸話を、滔々と堂々と披露して良くなっちゃったんですね結局。

実を言うとこの1年、素数は20110411であることを何故確認しなかったのかという、まあ一般的には非常にどうでもいいことでちまちまちまちま悩んでいたのです。素材萌えと素数萌えの両萌えを実現できなかったことに対して、喩えようもない悲しみを感じていたわけです。いや、アホですよ、単なるアホです。間違えたこともアホだけど、それにこだわっていたことも、引きずっていたこともアホです。そしてこうやって素数であることが判明しただけで大層浮かれているのもアホの権化としか言い様がありません。

でもまあ、そういう夫婦なんだなと改めて思うこととなりました。まあ世の中いろいろ思い通りに行かないことのほうが多くて、世間や情勢に流されながら、自分達の方が変わりながら淡々と進みつつ、萌え要素には心血注ぎ、そうすると色々辻褄が合ってきたり、思いもかけない良いことや他者からの評価が転がってきたりしてて、その瞬間に最大に喜んで楽しむことを繰り返しながら、基本はまたオロオロバタバタしながら笑い飛ばして生きていくのです。

たかが素数か素数じゃないか、小さな小さなことを巡る話ですが、そんなことに気付かせてくれる話でもあったのだと……そんなことを思いながらこの記事を書いているうちに実は4/12になってしまったのですが、まあそれはそれ、4/11の25時という設定でご勘弁いただきたいなと思う次第です。おやすみなさい。



※追記
この先10年の素数日だそうです。記念日に考えている方は活用するといいかもw
<a href="http://matome.naver.jp/odai/2133404602741869101 ">http://matome.naver.jp/odai/2133404602741869101 </a>

2012/03/16

若さへの思いと若さの喪失には質量保存の法則は適用されるか

NHKのブラタモリが好きでよく見ている。

東京近郊の土地探訪という番組テーマ自体も好きだけれど、そこに登場する「その土地(あるいはテーマ)の古い話題に詳しい人」にとても心惹かれている自分がいる。日常的には単なるオタク扱いされているだけの人かもしれないなと思わないこともないが(笑)、実に生き生きとその土地(あるいはテーマ)に対する愛情をダダ漏れさせながら知的に語る姿には、ただただ幸せのおすそわけをもらっているありがたい気持ちのみが生まれるのである。

さて、先日のブラタモリでは「江戸の盛り場〜吉原編〜」というテーマを扱っていた。そこに登場した吉原の研究者(本来は日本の近世文学その流れで吉原文化にも詳しい)である渡辺憲司さんという方は、とても愉快で、実に楽しげに風俗歴史を語り、その語り口からは活き活きとした当時の様子が浮かんでくる素敵な専門家だったのである。紹介では立教新座高の校長先生ということで、こんな先生がいる高校は楽しげだろうなと思ったのだった。

番組を見ていた時は気づかなかったのだけれど、知人の言及により、この渡辺憲司さんという立教新座高等学校の校長先生こそが「昨年の震災後、中止になった卒業式に出席する予定だった卒業生に向けて、素晴らしい送辞を贈った校長先生」だったということに今日気付かされた。

その送辞については下記リンクより読んで頂きたい。それなりに話題になっていたし、1年ほど前に目を通した方もいらっしゃるのではないかと思う。


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)


1年ぶりに読んで改めて文章が心に染みいると共に、本当に本当に立教新座高等学校の学生たちは恵まれているな、実に羨ましいものだと感じ入ったのだった。しかしと同時に疑念も浮かんでいたことも思い出す。

当の学生たちは、この価値に本当に気付けていたのだろうか。この送辞を本当にありがたく受け取ったのだろうか。校長相変わらず話うざいとか読みにくいとか小馬鹿にしている学生はいなかったのだろうかと、自分の高校生時代を振り返るにつけ思いを馳せずにはいられないのだ。

自分が高校生、あるいは中学、そして大学の頃は実に生意気であった。今思い起こせば様々な素晴らしい先生と出会っており、どう考えてもその環境に感謝し、学ぶべきことは学び、吸収できるところは吸収し、その恵まれた環境を享受すべきであったと思われる。しかし若く浅薄な私はその価値に気付くことが出来ず、わかったような風でああだこうだと先生を批評し、まともに話も聞かないままに時間を費やしていた。

実にもったいなかった。その当時与えられていたチャンスを、全く享受出来なかった。しかし、あれこそが若さだったのだと思う。価値に気付けずに残酷に切り捨てられる浅薄さこそ、若さなのだと思う。

今の私からしてみれば、あの頃の自分はただただ恥じ入るばかりだけれど、まあ、あの若い時代があるからこその自分なので、後悔はない。後悔はないが、自分の昔の判断力には全く信用が置けないし、そうやって反省し続けるうちに「若くして◯◯」「若いのに◯◯」にはどれほどの価値があるのだろうかという疑念を持つようになった。「若い」ということを外したら何の意味もない実力ではないのだろうか、大した実力もないのに「若い」ということで点が甘くなっているだけではないだろうか、その評価は自分の実力をきちんと表しているのだろうか、自分の発言は同世代のコミュニティの内輪受けではなく本質を捉えているものなのだろうか、と不安は次第に大きくなる。

女子大生ブロガーは女子大生で無くなった時も価値のあるブロガーとして存在できるのか。◯◯世代は、その世代が若さを示さなくなった瞬間でも価値を持つフレーズとして効くのか。若い感性とやらは、そこに若さがなくとも、価値を生むアイデアを生み出しているのか。老害と感じる状況は本当に老害なのか、若害ではないと言い切れるのか。

今私は、ある場所では若い扱いをされ、別の場所では一番の古参扱いになったりするという微妙な年齢のまっただ中にいる。本当に若かった時の言動は、浅薄さもふくめそれこそが若さであると笑い飛ばすこともできるが、さすがにもうそういう歳ではないだろう。自分が行ったこの判断は正当か?自分が受けたその賞賛は、自分が獲得したその共感は、社会的に見て真に評価されるべき実力か……?



そんなことが、今日こうやって再び渡辺憲司さんの送辞を読み返した結果、頭の中を巡り続けたのだった。

そのものの本質や価値がわからずに切り捨ててしまう残酷さを、若さと呼ぶか馬鹿さと呼ぶか。もう若くないとは馬鹿さと捉えられるようになることだと、年女である今、深く心に刻む、そんな週の終わりである。