2014/12/28

イントネーションと世代差とコミュニティ差

同じ「みたか」でも「三鷹」と「見たか」ではイントネーションの違いがある。あえて表記を試みるとしたら「三↑鷹→→」であり、「見↑た↓か↓」のような。あるいは「三鷹(ミソソ)」で「見たか(ソミド)」的な。
古くは「彼氏」を「見たか」的に発音するのがならいだったものを、ギャル達が「三鷹」のように「カレシがぁ~」と発音しているということが取り沙汰されたことがあった。

事程左様に突然イントネーションが気になることがある。

数年前、「見たか」の発音だと思っていた「mixi」が、若者ユーザの間では「三鷹」のように「ミクシィ~」と発音されていて「そうか、世代によって発音が違うのか」などと思ったことがあった。

ただこれは追求していく内に、世代差というより、利用頻度によるものの差のほうが大きかった事に気づいた。より使っている人ほど「三鷹」的平坦な発音をするのだった。使う人ほど発言頻度が多いので、イントネーションの高低差が大きい物から、カロリー少なく話すことができる平坦なイントネーションに移りゆく、ということなのかもしれない。だから、ヘビーユーザーほど平坦な発音になる。だから、世代差よりmixi依存度や利用頻度によるコミュニティ差の方が強くでていた。

思い巡らせてみれば「Google」も、アナウンサーやTVCMは「見たか」のように「グーグゥ!」と発音されているから、そっちが正式な発音なのだろうけれど、実際の日本人ユーザの多くは「ぐーぐる」と「三鷹」的な平坦な発音がなされている。しかも使う人であればあるほど。

さてようやく本題に入るが、先日とある業界の会合で各社挨拶&自己紹介が行われたのだ。そこで正に「三鷹」の発音で「グノシー」と、グノシーの社員の方が挨拶されたのだった。CMでは「見たか」の発音で「グノシー」と言っているのに、実際の社員の方は平坦な発音で「ぐのしぃー」と声に出す。

そのイントネーションの響きを聞いた瞬間私は、スマホニュースアプリどっぷりコミュニティには属していない自分を認識した。ネットオタクを自負していたが、「見たか」と同じように「グノシー」と発音する私は、スマホニュースアプリ界においては外の人であり、またライトユーザーでもあると……。

そしてまた別のニュースアプリの会社の方も、競合であるグノシーのことを平坦に「三鷹」的に「ぐのしぃーさんは」と発音されたので、ますますもって真のスマホニュースアプリユーザー&業界人の発音はそっちであり、自分は外の人である確信したのだった。私もまだまだ、と言うかおそらく既にネットオタクなんて思っていたのは自分だけで、きっと時代に乗り遅れている証拠なのに違いない。
 

※付記
ということをFacebookでゴネゴネ書いていたら、こんなサイトを教えていただいた。なるほど「アクセントの平板化」と呼ぶ現象だったのかと。
http://www.ninjal.ac.jp/publication/catalogue/kokken_mado/09/04/

2014/11/18

デフォルト男性問題

ビジネスで誰かの紹介で初対面の人と会う時に「えっ?!女性だったんですか?」と言われることが少なくない。
 
正直な所毎回「一体全体あの人は、私のことをこの人にどのように説明したと言うんだ、全く……」とげんなりすることこの上ない。
「もっとごつい男性かと思っていました」とか言われた日には本当に何なんだろうと思う。
どうせ頭おかしいとか気が狂ってるとかキモいとかガサツとかまあ多少被害妄想入りつつもあるが「良からぬ悪い噂に違いない(まあ事実そんなに素晴らしい人物でもないからいいのだけれど)」と考えていた。
 
そんな中、ここ数年「もしや……」と気付き始め、最近段々と確信を得始めた現象がある。
 
相手が会ったことがない人の人物像を説明する場合、対象が女性だと大抵「外見の説明」から入るのだ。
可愛いとか、綺麗とか、普通とか、可愛くないとか、おばちゃんとか、ギャルとか、地味とかなんとかいいも悪いも含めて外見の雰囲気から入って、仕事ぶりや性格の話になり、センスとか趣味興味の話が加わる。
 
男性の場合は基本的には仕事ぶりや性格の話から始まり、センスとか趣味興味の話が加わり、よほど特徴的な場合は外見の話が加わるという感じだ。余程のイケメンの場合にイケメンが連呼されるとかそういう感じの。
 
そしてこれは話者が男性でも女性でも同じ傾向がある(少なくともここ数年の私の周りでは)。
 
つまり、外見の説明が入らない時点で「男性である」と判断される可能性が高いということで……要はおそらく、私は外見の説明がされていないことが多いのではないだろうか? ということを最近考え始めた。
 
これはまあ外見の説明をふっ飛ばしたいほど頭がおかしいことを力説したい人が多いのか、外見に語るべきポイントがないぐらいとらえどころがないか、ものすごく覚えにくい外見をしていて思い出そうとすると記憶がぼやけるとか、あるいは誰も私のことを女性だと思っていない、のどれかなのだが、ここを突き詰めると結構よからぬ扉を開きそうなのでやめておく。

それよりも「外見を語られがちでない」ことが真実であれば、期待したいことが私にはある。
 
 
変死した時のことだ。
 
 
何を突然というかも知れないが、どうせここまで読んだのだろうからついでだと思って聞いてほしい。
 
よく、女性が変死すると多くの場合「美人OL」とか「美人看護婦」とかなんかもうわけもなく「美人」の安売りが発生すること甚だしい。
正直な所「え?これ、美人……?」と感じてしまう人にも美人が付いていることが多いことこの上ない。
 
これが本当に私にとって恐怖なのだ。
 
私が変死したとして、ある日突然週刊誌やらネットニュースやらに「広告代理店勤務美人プランナーのバラバラ死体」とかもう、そんなタイトルがのることを考えるだけでおぞましい。そりゃ私はもう記事が出ている時点ではバラッバラの燃えカス(もしくは検視でさらにバラバラ)とかだろうからどうでもいいのだけれど、それでも
「プッ……美人だってよwwwwwwwww ねーわwwwwww」
「アレが美人になるとか、週刊誌も適当だなwwwwww」
とか、生存時の私を知る人達からこぞって失笑されていると考えるだけで、もう、嫌だそんなの、死んでも死にきれない!!!!!!!
ないないないない、絶対ない、本気で嫌。
これが嫌なために変死だけは避けたいと本気で思っているぐらいに嫌。
私にとっては切実である。
 
だが前半で語った通り、もし私が外見語る価値なし人間なのだとしたら……勝手に「美人」とかつけられてしまうおぞましい現象の確率がものすごく低いということではないか!
それは素晴らしい。
ほんとうに素晴らしい。
私の長年の悩みは解決される。
 
ということで最近は「あれっ女性だったんですね!?」と言われても、おおらかに受け止めるようにしている。
 
※おまけ
名前見ればわかるだろうという人もいらっしゃると思うが、漢字フルネームの印象が硬いらしく、字面だけ見て男性と判断されてしまうことが度々ある。小学校の頃から知らないうちに男の子の方に名前が混ざることは頻発していたし、極めつけに新卒入社時の登録書類も男だったこともあったし、まあ間違われやすいんだろうとは思う。あとは夏目漱石の小説の主人公の兄や、最近だとBL小説の主人公にも同じ名前がいるようなので、まあ男性の可能性もある名前ということなのだろう……

2014/10/15

コンテンツ体験にかかわる妄想

物語の本筋から想定される「明らかな人間関係」がある。
主人公とヒロインはくっつくとか、主人公の友人はいいやつなんだけど振られるとか、ヒロインのライバルは後にヒロインの親友になるとか、そういうやつ。

そういう本来の設定や背景や話筋から横道にそれて、関係性を妄想する遊び、いや思考回路を「やおい」と呼ぶ、と私は理解している。男×男だとBL、女×女だと百合と呼んだりもする。

言うまでもないだろうが、この「やおい」的思考回路の持ち主は、世間一般の人達からは気持ち悪がられる。
腐女子と呼ばれたり、百合豚と呼ばれたり。
蔑称には事欠かない。

ちなみに私はといえば、突き詰めて考えると「やおい=関係性妄想遊び」容認派であり、「時に参加することも厭わない」人間であると思う。

積極的ではないが、面白いことを、至極楽しい遊びであることを私は知っている。主食ではないがデザートではあるぐらいの感じのレベルでの好きだ。

だが、やおい求道者からはバカにするなと怒られるレベルの底の浅さだ。腐女子なんて恐れ多くて名乗れませんぐらいの感じだ。と言いつつも同時に、世間一般の目線からすれば、腐女子の類に入るし、気持ち悪がられても仕方のない人間の一部だということは認識している。


さて、私はアニメとドラマ大好き人間なので、twitterでも同様の人達をフォローし、日々コンテンツ視聴とともにtwitterのタイムラインを楽しんでいる。

世の中には同じ作品を沢山の人達が様々な視点で試聴し、さまざまな目線で解釈している。それらが乱雑に降りしきる状況はとても楽しい。自分の気付かなかったシーン、自分の見過ごしたセリフ、自分とは違う解釈、実に面白い。

そんな中にも、語りの系統は2つある。
純粋に物語のテーマを解釈し、制作技術(作画とか、カメラワークとか、劇伴とか、演技とか)を評論しようと試みる人達。
自分のお気に入りの登場人物の組合せを見出し、ひたすらその中での関係性の妄想をほとばしらせ続ける人達。

前者は物語の理解を助ける「評論家」として重宝されがちだ。世間一般にも受け入れられやすい。
後者はもちろん、やおい思考回路の人達だ。世間一般では気味悪がられ……で済めばいい方で、忌み嫌われ叩かれるることもある。

が、実際日々両方の投稿を浴び続けていると「より作品を好きになリ、楽しめる」様になるのは、やおい的思考回路からほとばしる妄想群だということに気付かされる。

評論は「作品の価値をより深く理解する」ことにつながるが、時にけなすような意見もたくさん目にすることもある。個人的に気に入ってる作品でそれをやられると、自分の感性すら否定されたような気分になって、まあへこむ。
気分のいいものではない。そして時に、好きなコンテンツが減ることもある。

一方、やおい系思考回路は基本的には個人の妄想の発露でしかない。
他人からしてみれば押し付けだ。
が、そこには愛がある。

普通に見ていたら大嫌いだった敵キャラや、いけ好かなかったサブキャラたちの、ちょっとした仕草やちょっとした表情、たった1回だけ紡がれた発言をこまめに拾い、愛すべき人物像が作り上げられ、それを周囲に振りまいていく。それを浴び続けていると……あら不思議。

気が付いたら、敵も味方もメインもサブも、その作品の全てのキャラクターたちが愛すべき存在に思えてくるのだ。

主人公をいじめるあのムカつくあいつ。
表情も言動も気に食わない。
あのキャラさえいなければ、もうちょっと心地よくこの作品を楽しめるんだけどなあ、ホントイライラする、なんて思っていたりする。

ところがある日、そのムカつくキャラを主軸にした、どこかの誰かによる妄想サイドストーリーを私は知ってしまう。

するといつしか、あの暴言、あのイラつく目つき、あの腹立つ暴力にさえ、心に痛みを抱えた人間の悲哀であり家に帰れば猫を可愛がる愛すべきキャラクターに見えてくる。

むしろ、それをわかってあげられない主人公側に、もどかしささえ感じてみたり。
そんなに嫌うなよな、ぐらいの勢いで。

そして、また別の妄想を目にし、主人公とムカつくキャラが、本筋とは別のところで実はわかりあえていたり、仲良くしたりしている展開を知って満足する。

こうやって、気付けば全てのキャラクターに愛を振りまく自分に気づく。

これは、この上なく楽しいコンテンツ体験だ。

物語の本筋にドキドキし、時に喜び、時に怒り、時に悲しみながら、毎回毎回嬉々として妄想の先に見える人間関係に萌え、そして癒されることを楽しめる。

やおいの世界は、仲良き事は美しき哉の世界。
そしてそれは決して男×男(BL)、女×女(百合)だけではなく、男女でもまたありだろう。

実はあいつら付き合ってるんだぜ怪しいよなとか、昨日の飲み会の後二人が消えた先で何が起きていたのかを勝手に予想するとか、そんなこと学校でオフィスで日々あちこちで繰り広げられているではないか。そういうのが「やおい」の原点だと思う。

気持ち悪がるあなたも、やおいの素養は少なからず持ち合わせている。

というわけで「毛嫌いせずに自分の世界を広げると思って、やおいの世界にちょっくら足を踏み入れてみませんか」という誘い文句はどうだろう、というところまで考えて我に返った。
 
 
 
さていったい私は誰を何に勧誘しようとしていたんだ?
 
 

2014/07/03

W杯を見て冬季五輪を思い出した話

今回のW杯はリアルタイム視聴はほぼ諦めて、録画したものを後で見ている形が多くなっています。まあ途中旅行したのもありますが。

割と、というか究極にネタバレが平気なタイプなんですよ。しかも見ながら結果を忘れるもので、日本戦やスペイン戦を見ながら入らないシュートであることを知ってるのに、今度こそはいるんじゃないかと思えてしまったり(笑)。結果わかってるのに「うわー!」とか言ってしまう馬鹿者です。録画再生する度に歴史が変わったら大変だっていうのに……。

さてそんな中思い出したのは、冬季五輪のスピードスケート種目のことでした。
スピードスケートは体格が大きいことが圧倒的に有利である(リーチの長さもそうだし、氷を押す重量的な意味も含めて)ので、体格が立派な人が多いオランダというのは人種としてそもそも有利な状態にあるわけです。でも、体が大きいと小回りがきかないから、コーナリングでタイムロスしてしまう。

一方で体格に劣る日本や韓国の選手は、コーナリングの技術を高めてタイムロスを抑えていくことで、全体のタイムを縮めていく戦法を取っていました。そしてその技術を限界まで高めていた加藤選手と長島選手の活躍が期待されていたというわけです。

ところがソチ五輪、蓋を開けてみればオランダの圧勝。ありとあらゆるメダルをかっさらっていきました。要因は……オランダは有利な体格そのままに、コーナリングの技術まで会得したというのです。

「そりゃもうかなわないよなー、もう無理じゃん」と感じたのを覚えています。日本人の努力では到底届かないところにオランダは行ってしまったのだなあと。そして、なぜそのことに日本は事前に気づけなかったのだろうかとも思いました。

さてサッカーの話に戻ります。
私は単なる観戦バカで、自分自身のサッカー経験が深いわけではないので、サッカーの戦術や技術など事細かに理解して試合を見られているかというと、まあ怪しいもんだよなと自分でも思っています。ボールを持っていないあの動きに意味があったとか、あのボールタッチは信じられないとか、サッカーをやっていた人だからこそわかる目線は、私は持ちえません。
所詮素人。

そんな私ですら、今回の世界のサッカーの進化は強烈でした。
とにかく見ていて楽しい試合が多いこと。
そういうチーム同士があたった時の、コートがものすごく狭く感じられる体験。
特に決勝トーナメントに入ってからはもう、震えるとまで思いました。

1つのスタイル(日本の場合はパスサッカー)を真に極めれば個の力をカバーしうる状態になり、世界を取れると思っていたら、世界のサッカーは真にポリバレントな強い個の力を持つ選手達が複数の役割、複数のフォーメーション、複数のスタイルを状況に応じて使い分けながら、都度都度最良の戦術を選択しつつ戦う、次の次元へ踏み込んでいる姿を見せつけられた印象を持ちました。

3-4-3か4-4-2かどちらのフォーメーションが日本の選手層とスタイルに合っているのかという話ではなく、試合の中で状況を見ながら両方を使い分けられる選手が揃ったチームが世界レベルのサッカーだったんだ、という現実。日本はもちろん、アジア4チームとも1勝すら出来ないあの断層のようにも感じられる実力差。

うわー……と。
この差、埋まるのかなーって。
何年かかるんだろう。そして埋められたと思った頃にはまたきっと世界は次の次元へ進んでいるのでしょう。
クラクラしました。

そして前述のスピードスケート競技の現実を思い出したのでした。
ああ、あの時感じた絶望感に似ているなと。
世界との差をつきつけられた感じに。

その「なぜ世界との差に事前に気づけなかったのか(修正できるかどうかは別として)」という問題。
EUROに出てないのは大きいかもしれません。
チャンピオンズリーグに出るようなチームにいる選手がまだまだ少ないというのもあるかもしれません。
でもそしたらアメリカは?
運動神経の良い少年は、アメフト、バスケ、野球、アイスホッケーにまず取られていく中でそれでも決勝トーナメントに進出し続けているのはなぜ?

まあアメリカの強さについて考えていくと話が曲がるのでさておきますが、それにしても「気付くタイミングは合ったのではないか」と思うわけです。
コンフェデです。

コンフェデ、日本はわりとさくっと負けましたけど、でもあの時敗因を「世界との差が広がっているからだ」ではなく、「日本はまだチームやスタイルが完成していない発展途上だからだ、後2年掛けて高めていけば行けるはずだ」と分析してしまったように思います。

いや、わかったからといってあの時から初めて間に合うような強化が出来たか、と言われると正直疑問です。というか無理だったと思います。
でも、不要な……いや誤解の上に成り立っていた過剰なる期待が事前に膨らんでいきすぎた状況は、生まれなかったんじゃないかなーとも感じるのです。

そんなことを考えながら、今日もまたサッカーを見ようと思います。
チリ、ブラジルに勝って欲しかったな。
次にもうドイツ・フランスとか超もったいないな。
そして個人的にはドイツ・オランダの決勝を望んでいます。

2014/04/30

怖くて買い物ができない話

自転車を買いました。
自転車欲しいと言い始めてから2,3年。
もはや一部で買う買う詐欺とまで言われはじめましたので、「錆びきっているとはいえ、ママチャリがあるからいかんのだ、追い込め自分!」と粗大ごみに出しまして、先日ついに自転車屋さんで予約してまいりました。タイヤの泥除け、自転車立てかけるスタンドや、リアキャリアをつけてもらって5月中には手元にやってきそうです。万歳。

さて、ここまでの道のりを振り返ってみると、正直な所「紆余曲折」ではなく「大量の停滞期間」により時間がかかってしまっている事に気づきます。

なぜそんなに停滞したのかというと理由はひとつ「自転車屋が怖かった」に他なりません。「脱ママチャリをしたいだけ」の自転車素人にとって、自転車屋は鬼門でした。

勇気を振り絞って訪問してはあまりの怖さに心折れ、自転車屋恐怖症になって近づけなくなり、数ヶ月ののちに立ち直ると、おもむろに前回の自転車屋訪問時の敗北理由を振り返ってから、自分に足りなかった知識を備えて「よし今度こそは」と思って訪問する、ただし前回怖かった店とは別の店……とまた別の理由で心折れ、自転車屋が怖くなって……を相当繰り返しました。怖い店に当たりたくないので事前にネットで調べて、メールを送って反応を見たりとか、やりとりしながらここいいかもと思って訪問すると、メールの人と店員は違うのかやっぱり怖かった、というのもありました。

なぜあんなに自転車屋の店員さんたちは、自転車購入道マッチョなのでしょうか。たまたま遭遇した店員がそうだったのではないかという指摘もあると思いますが、私結構店回りました。勇気を振り絞って色んな店員さんに話しかけました。あと、誰もが引いちゃうぐらいキモい客ではなかったと思います、私(多分だけど)。
でも、みんな怖かったです。
知識がなくて、何から聞いていいのかすらわからない私にはたいそう怖かったです。

プライドとこだわりをお持ちなのはわかりますが、ええと、要は素人に冷たすぎます。自転車のプロなのかもしれないけど、接客のプロじゃないよお前!と言いたくなったのは何人にのぼることか。

いや、分かるんですよ、最近の急なサイクリングブームでミーハーな自転車乗り志望が店にわんさかやってきて、あーだこーだわけわかんないこと言ってきて、マジ辟易してるんだろうなーってことは。しかもそういう奴らに限って自転車の乗り方がなってなくて、そのせいでちゃんとした俺達自転車乗りまで批判される日にゃあ、ファッション自転車乗りなど滅びてしまえとか思ってることはわかるんです、ええ分かりますとも。でも全員がそうじゃないだろ、少なくとも私は違うし、困ってるんだから助けてくれよ、冷やかし客じゃないんだからさ(´・ω・`)って、毎度毎度落ち込みながら帰宅しました。この2ヶ月ほどは一気に5店舗ほど回って全て討ち死に。泣きたい気分で毎度毎度しょんぼりです。

ちなみにこういうこと書くと「そんな困ってるなら自分に相談してくれればよかったのにー」という方いらっしゃいますよね、ええ、知ってます。でも私が相談した方はみなほぼ笑顔で「自転車組み立て」をオススメしてきましたよね……私が求めてるのはそんな本格的なものじゃない!もっと気軽なの!そんな何十キロも走らないの!街乗りなの!

というわけで、自分の周りの自転車に詳しい人はみんな「俺の(私の)仲間に引き入れようとする怖い人」に違いないと、初手の7名ほどで勝手に判断した私は周りに聞くのを諦めました。いやもしかしたらそうではない自転車乗りさんも周りにいらっしゃったのかもしれませんが、ええとあなたに辿り着く前に私は心が折れました、はい。でまあそんなわけで、自転車屋さんなら色んな客が来るから初心者にも親切なんじゃないのかなーと思ったのが自転車屋マゾ体験ツアーの始まりでした。

まず知識の無さ過ぎる私と自転車屋さんの間には幾つもの溝がありましたが、大きなものがこの3つ。

(1)「軽いのが欲しい」問題
私:ママチャリより軽ければOKと感じてしまうレベル
店:値段に応じて軽さが変わるので、予算か希望の重量かどちらか教えろやコラと思っている

(2)「予算」問題
私:そもそもどれぐらいの価格だと、どれぐらいのものが買えるのかをそもそも知りたい。3万と5万と7万と10万は何が違うの?変な買物はしたくないから、妥協できる違いと妥協できない違いの境界線を知りたい。 その上で自分のお財布と相談して、どれぐらいなら出せるかなあって検討したい。ママチャリと比べればみんな高く見えるから。
店:値段によって性能が違うのは自明、さっさと予算言えやボケ、と思っている

(3)「デザインの好みは重要」問題
私:予算と機能性で絞っていったらきっと数種類に絞られてしまうに違いない、そこから好きなデザインや色の自転車を選びたい
店:まず好みを絞って、そこから詰めていかないと範囲広すぎて選べないんだよわかってないなあ、と思っている

この3つの溝が大きくて、この溝の存在に気付き、自ら調べて溝を埋めて店員さんに話しかけないとそもそもコミュニケーションが成り立たないのだということを分かるまでに、結構時間を要しました。しかも、そもそも知識がないから「これぐらいで埋まったかな」と思って意気揚々と店に行くと「それは埋めたって言わねーんだよ、もっと調べて絞り込んでこいよバーカ」みたいな感じで返り討ちに逢うこと甚だしく、その度にトボトボと帰宅する羽目になりました。

特に(3)は気付くまでに結構時間かかりました。なんで「カタログ見てもうちょっと絞ってきてください」ってため息付きながら言われちゃうのかなあって思ってたんですけど、気づいてからは「ああ、何でも売ってる車屋さんに、コンパクトカーか軽のどっちかで悩んでるんですけど、って突撃してしまい『せめてデザイン的にマーチとフィットとムーヴとラパンといろいろあるでしょ、どういうのが好みなのか言えよ、話はそれからだ』って言われてたってことなんだなあ」とは思いました。思いましたけど、でも「小さくてたくさん入る車ください!」って車選びでも言うよね、とはいまだに思ってますけど(根深い

まあそんなわけで、アバウト過ぎる質問を繰り出しすぎた私は店に行く度に「この客相手にする必要なし!」みたいな対応を取られて、どんな質問をしていいのかさえもわからなくなって、対自転車屋限定のひきこもりになりかけていました、正直な所。いや、対人コミュニケーション得意な人なら行けるんでしょうけど、私はそもそも人見知りが強いので(違うでしょと思っている方、それは私が仕事用にかぶっているネコの内側を知らないだけですよ!)、ちょっとした応対ですぐめげてしまうんですよね。

しかし私も大分学習しました。時には美容院でmonoマガジンを読み、そこから得た知識をもってまたネットの海に潜り、自転車屋さんから「それは質問になってねえ」と返り討ちされないような状態にまで絞りこみ、「これとこれとこれで悩んでるんですけど、優先したい条件はこれこれで……その場合どれがおすすめですか?」と質問できるまでになりました。頑張った、私。自分で自分を褒めたいぐらいだ!

そして先日行きましたついに自転車屋。

実際に自分が気になっている自転車がさわれそうなところということで、大きめの自転車屋を選びました。大きめなら店員さんも色々いるだろうし、というのもありました。

そして、比較的優しそうな、そして詳しそうな店員さんに意を決して質問を投げかけてみたところ、ちらっと一瞥されて「その3台なら値段の差が性能の差なんで、後は決めるしか無いですねご自分で。」と冷たく言い放たれました。「あぅ……あ、あ、そう、そうなんですね、ありがとうございます……かんがえます………(消え入る声で」と返すしか無い私、無残。

でもまあ、もうわかりました。そこまで絞り込んだならもう好みだ、というレベルまでに私は調べたのだということは。言われ方がきつくて、あと「ケッ素人が」みたいな目をされた(被害妄想)ので心が折れかけたけど、あとは自分で決めればいいんですよと言われたんだということはわかりました。

ただ、お前がいる店では買わねーよ、とも思いました。

ええ、子供じみているのはわかっています、わかっていますけど、でも買うだけじゃなくて、その後メンテナンスとか色々相談するかもしれないわけじゃないですか、どうせなら少しでもいい人がいるお店で買いたいよ!だったら、これまでの中で「少なくともネットでの応対は親切だった」お店で注文しよう、そうしよう、そう思いました。

が、ここで先ほど返り討ちにあった(と、私が勝手に思った)店は、近所にもう1店舗「レディース専用店」なる女性専用店舗を構えておりまして、最後そこだけ寄ってから帰ろうかな、と思いました。リア充キラキラ自転車女子客にあふれてて怖そうだけど、違う意味で私めげそうだけど、あるいは可愛いだけの自転車しか売ってなかったらどうしようとかそういうのもあるけど、でも折角だし行ってみよう、そうして足を運びました。

……結論から言うと、私が最初に行くべき店はこのレディース店でした。
その店は、物腰柔らかく丁寧な対応に長け、そして知識溢れる優しいお兄さんたちであふれていました。
ついでに言うと、おいてある自転車も全体的に私好みでした。

なんだよもう、この店員さん達だったら私のアバウトな質問に対しても、選択肢を示しながら一緒に自転車を絞り込む手伝いをしてくれたんじゃん!!!!最初からここにすればよかったよー、レディース専用店という表記に変な色眼鏡を掛けて見てしまって、最後まで避けてて本当に申し訳なかったと心底土下座したい気分でした。

店を見回すと、女性専用店と言いながら男性一人客もちらほら。うん、分かる、分かるよ、この店親切だもんね、レディースとか何とか取っ払って、こっちの店の方選びたくなる気持わかるよ、って男性一人客に握手しに行きたい気分にすらなりました。この店は、親切な自転車店を求めて辿り着いた客達にあふれていました。とまあそんなわけで、自分が絞り込んだ内2台がこの店に運良くあったのもあり、最終的にはもう色の好みで購入を決めました。

それにしても、たまたま「レディース専用」的な表記になっているけれど、要は「詳しくない人向けの親切な店」ってことだなあと感じました。「詳しくない人向けの親切な店」って自転車にかぎらず色んなジャンルで必要とされてますよね。まあ自転車においては、詳しくない人の女性比率が圧倒的に高いから、女性向けっていう取り扱いになったんでしょう。そしてその他のジャンルも「女性のほうが詳しくない」場合が多いので、総じて「客にやさしい店」が女性向け店舗と言う扱いになっていることは多い気がします。

ただ、多くの女性向け店舗って「女性が入りやすい内装デザイン・色?」「イケメンが多い?」「女性向け商品品揃え?」みたいな方向に走っていて、本来女性が立ち寄らない理由「店が怖い」根本理由の解決に、案外なってなかいんじゃないかと自転車の一件で気付く羽目になりました。

よく女性は「雰囲気でなんとなくとか言いがち」とバカにされがちですが(苦笑)、それって結構重要だと思うんです。内装や商品ラインナップからくる影響以上に、そこの店員さんが醸し出す雰囲気を、女性は入り口から感じ取ってるんじゃないかなーと思うんですよね。丁寧で親切な店員さんがいるお店は、自然とそういう雰囲気が出ていると思います。そういう客にやさしい店に、女性はピンとくるのです。そしてそういう店は、実は男性にも優しい。女性専用にしておくのはもったいない。

逆に、レディース専用という表記に当初の私が引いてしまっていたのは、形だけ女性向けにしてある店が世の中には多いからなのかもなあ、とも思ったのでした。

あ、完全なる余談ですが、女性がイケメン店員に惹かれるのは、見た目の造作だけではないと思います。ぶっちゃけイケメンは、フツメン・ブサメンと比べて、性格がひねくれておらず、優しくサービス精神にあふれている「率が高い」です。イケメンが多い店に女性が行きがちなのは、見た目の良さに惹かれているだけではなく、その店がそもそも親切で丁寧な店だからの可能性も高いんじゃないかなと、思います。イケメンに溢れる店舗をバカにしないことです。案外男性にとってもいい店かもしれないのですから。そして本当にどうでもいいですが、自転車屋の店員さんは別にイケメンではなかったです。でもとても親切で丁寧でした。

ま、兎にも角にも、色々ありましたが自転車買えて良かったです。

2014/03/14

ロスジェネCMの憂鬱

76世代と頭につく時は大抵、同世代の誇らしい活躍話を聞く時だ。
しかしロスジェネと締めくくられる時は大抵、場所を失い、生きがいを失い、誇りを失い、そして犯罪者となった同世代の話を聞く時だ。

就職氷河期だの何だのと報道される中繰り返されるのは「2000年以降最低の就職内定率」という言葉だ。そう、もっと酷い年があった。1998年、1999年だ。私達ロスジェネが就活をしていた年。ナメんな若者、私達はもっと酷い時代を生き抜いてきたと言いたくなることがある。

そんな酷い時代、就職できなかった同級生が沢山出た。一部は自分でビジネスを始め、一部は成功し、76世代と取り上げられた。しかし残りはどうだろう。年齢的にもアラフォーに突入し、そろそろ人生折り返したよねというタイミングに入ってから、犯罪者となった同世代の報道を目にすることが増えたように思う。「また同世代か」と思うこともまた、ずいぶん増えたようにも思う。

先日逮捕された黒子のバスケ脅迫事件の犯人もまた、報道されてみれば同世代だった。今日、初公判があったという。「被告人の意向で、長文の意見書が読み上げられ、犯行の動機や、自分の思いなど、全て被告が語ってしまうという異例の展開」だったそうで、その概要をリンク先の記事から知ってやるせない気分になった。同じような思いを抱えながらも、犯罪を犯さずにじっと生きている同世代が一体どれほどいるのだろうか。思い巡らせるだけで目の前が暗くなる。
意見陳述全文1
意見陳述全文2

そんな私が最近、怖くてしかたがないCMがある。
リクルートのアルバイト情報誌、タウンワークのCMだ。

CMでは、香取慎吾くんがバイトリーダー的なポジションを務めていることが伝わってくる。

それがもう、リアルすぎて泣けるのだ。

香取慎吾くんは私と同じ学年のロスジェネど真ん中。その彼が正社員ではなくバイトリーダーを務める姿を演じている。なんというリアルさ。ちょっとだけ上の、ロスジェネと呼ばれずに団塊ジュニアと呼ばれた世代の武井壮が店長だ。ドラマ仕立てのフィクションCMでこんな現実突きつけてくれなくてもいいのに、と感じられてならない。

劇中の香取くんを慕う年下のバイト仲間達はいずれ、学校を卒業したり夢をつかんだりすることで、バイトをやめて巣立っていくのだろう。でも香取くんには行くところはない。バイトリーダーといえば聞こえはいいが、非正規雇用として歳を重ねていくというわけだ。そんな夜、一体何を思って自分一人の家に帰るのだろうか。もはや同窓会にも行かないだろう。合わせる顔がないのだろうという想像はつくが、そうやってますます距離は離れ、孤独は増していく。そして考えるまでもなく、香取くんが象徴するロスジェネ世代のバイトリーダー達は日本中に、珍しくもない数で存在する。きっとバイトリーダーですら無い同世代も多かろう。

きっと考え過ぎなんだろうと思う。妄想甚だしいにもほどがあるんだと思う。香取くんはあの持ち前のキャラクターでCMに採用されているに過ぎないのだろう。

でもそれでも、ロスジェネと言われてしまう世代の有名人の一人である香取くんがあの役柄を演じていることが、強烈な現実を突きつけているようですごく怖いのだ。同世代への応援歌ではなく、ただただそっと直視したくないリアルを指さされているような心持ちに。

♪タウンワーク タウンワーク バイトはー君にー♪
♪見つけてもーらうとーきーを 待ってーいーるー♪

違うよ、見つけて欲しいのは自分だよ、そう思う同世代はどれぐらいいるんだろうかと頭に浮かばずにはおれず、CMソングまでが怖い存在に聞こえてくる。

笑顔の香取くんをTVで見る度に、そんなことを考えている。

2014/02/24

エレベーターの生態

先々週ぐらい……要は2月の初頭頃、同じ会社に勤める夫が突然
「ねえねえ最近さあ、会社のエレベーターで20Fとか行くヤツの方に、ネコがボタン押してるみたいなエレベータあるよね。」
と言い出した。

意味がわからない。

床板にアンモナイトの化石がいるエレベーターなら知ってる。あと、恐らくイライラしがちな人が苛ついて押ボタンにボールペンを突き立てまくった結果凹みが出来てしまったエレベーターも知ってる。閉じるボタンの色が剥げかけてるエレベーターが幾つかあるのも知ってる。でも、ネコは知らん。

意味がわからないという顔を多分おもいっきりしていたからだろう、
「ほんとなんだって!押すボタンの周りがさあ、毛だらけでもっふもふなんだよ!ネコっぽい毛なんだよ!」
と畳み掛けてきた。

だが全く意味がわからない。
わからないものはわからない。

ビルの清掃員の中にあの猫村さんでも混じってきたのかと一瞬考えた。それは会いたい、マジで会いたい。なんなら出待ち追っかけをいとわないぐらいだ。ラブ、猫村さん。
いやしかし一方で、あの猫村さんというのは仕事クオリティが大変高い方でもいらっしゃると認識している。その猫村さんが、いくら自分がネコとはいえ清掃対象にそんなモフモフとネコ毛を残していくなどなさるだろうか。いや、ない。猫村さん出現ビルであるという選択肢は、無い。

とまあここらあたりで思考は止まり、このことはすっかり忘れていた中で先週の金曜日、突然私は遭遇した。エレベーターのボタン周辺が毛だらけなのだ。モフモフとまでは行かないが、とにかく毛にあふれている。モヘアの手袋でちょっと触った程度の範囲ではない。全体的に、毛。そしてたしかにその繊維感がネコの毛っぽい。

マジだ、夫の言っていることは本当だった。ネコエレベーター、ほんとにあった……っていうかこれまじ意味不明なんだけどなんだこれ?!明らかに毛が大量に……全面的に……どちらかと言えば一瞬キモい。毛だらけ過ぎるにも程がある!どうしてこんなことに?!


※アバウトだがだいたいこんなかんじの様子だった

と思って数時間後、また別のエレベーターに乗ろうとしたら、中に清掃員の方がいた。正にエレベーターの押ボタンあたりを拭き拭きしていて、私と入れ替わるように出て行った。そしてそのエレベーターの押ボタンは毛だらけだった。

これか。
犯人はおまえか。
お前がネコか。
いや、でも普通に人にしか見えないぞ?

そんな中私は、そのエレベーターには自分しか乗っていなかったのをいいことにボタン周辺をジロジロ眺めた。とりあえず「押ボタン周辺は掃除したてと分かるような湿り具合」であることを確認する。そして思ったのだった。

「今の清掃員の雑巾は抜け毛体質すぎる」

つまりネコ毛あふれるエレベーターが出現していたのでは全くなく、「ネコっぽい繊維をはらんだ抜け毛体質の雑巾で掃除されたエレベーター」があるということなのだった。

ただ判断つかないのは「抜け毛体質が酷い特定の雑巾があり、それによる掃除にあたってしまったエレベーターがもれなくネコネコしい感じになる」のか、「雑巾は基本的に抜け毛体質のものが使われており、水拭き段階では必ずネコネコしくなる。ただし掃除した後に乾拭きしない清掃員にあたるとネコネコしいエレベーターが出来上がってしまう」のかの判別はまだついていないのだった。

さらに言えば「エレベーター自身が抜け毛体質」という可能性も否めないのである。なにせまさに今冬毛から夏毛に切り替わる季節だからだ。

あとはまあ原子生命繊維が、エレベーターを通じて学園……じゃなかった勤務先のビルを支配しようとしている(byキルラキル)というのもあるかもしれない。


はてさて、私が遭遇したあの清掃員はどうだったのか。雑巾運が悪い人だったのか、それとも乾拭きサボり員か。現時点では判別はついていない。
そして今日のところはそのネコネコしいエレベーターには遭遇していない。


続報は、無い。

2014/02/17

試験の記憶

先日、中高同級生の結婚式があった。中学受験をくぐり抜ける必要が有るため、同級生は基本的には皆同じ試験を突破している。結婚式後に会場をはけて数人でお茶をしているうちに、いつしか受験問題の話になった。国語の第一問がやけに難しくてハマってしまい、焦ったという話である。1人は余りにもわからなくて頭が真っ白になってもう落ちたと思ったといい、1人はこれはハマるパターンだと思って後回しにしたという。が、私は全く思い出せない。そのうちに具体的な問題の話になり

「あれ電線に雀がドレミファソラシドよ」

とか書いてある問題文だったことが明かされた。そして「雀と電線は何を表していますか」というのが問一で、それがわからなかったのだと友人たちは口々に言う。そういえばそうだったかもしれない。そうだそうだ、そうだった。私はあの時、読んだ瞬間に情景が運良くパッと浮かんだのでサクサク解けたのだった。実にラッキーだった。

そういえばあれはどんな物語だったのだっけ、と思って帰って調べてみれば、電線の上にいるのは雀ではなくて燕だし、物語ではなくて三好達治の詩だった。いや、もしかしたら友人たちは燕と言っていたかもしれない。話半分に聞いていて勝手に雀にしたのは私だったか。まあとにかく適当だ。もし今同じ問題が目の前に来たらもれなく「それは本当に電線なのか、ケーブルテレビや電話線の可能性はないのか」とか考えてしまうだろうなとも頭に浮かんだが、いやこれはこの話には関係ない。とにかく記憶は曖昧なものだ、それにしてもよくみんな覚えている、私はすっかり忘れていた……と思いながら、では受験で覚えているものはと思い巡らせてみれば気づくことがあった。

私の場合、強烈なのはセンター試験の国語の記憶で「ここは③か④で迷うところだが③を選びたい」なんて回答で解説される問題のほぼ全てにおいて、必ず間違った方を選んでいたという事態を引き起こし、目も当てられない様な惨憺たる結果となった。そしてその日からもう20年ほどが過ぎているというのに、未だに国語と、そして元々苦手だった英語の案の定な自己採点結果をしつこく覚えているのだ。ついでに言うと国語に関しては全国平均の点数まで覚えている。恥ずかしいからわざわざ書かないが、今でも言える。すぐ言える。

もう一つは二次試験の数学だ。解き初めて早いうちに、どうもこれはハマる問題だと気付き早々に後回しにし、他の問題を問いてから再度取り組んだもののどうしても糸口がつかめない。結局その問題は手付かずのままに終わった。受験当時はもう落ちた絶対落ちたと気に病んだものだが、まあ国立大学の全6問だか5問だかの1問でしかない。100点近く取らないと通らないような私立の試験とは違う、6割ぐらいでOKだと言われているのだ。その条件下ならたかが1問、今にして思えば合否に関わるような点数配分なわけもなく、多分他が合っていたのであろう、無事に私は合格した。

それでも私は覚えている。
具体的な問題そのもの、式そのものはもう忘れてしまったものの「xとaが混ざった方程式で、通常ならx=変数・a=定数であるところを、x=定数・a=変数と扱わないと解けない問題」であったという条件だけは未だに忘れられないのである。中高同級生もまた同じだ。同級生になっているということは、合格したということだ。合格したのに「あれ電線に燕がドレミファソラシドよ」というフレーズを覚えている。こうして振り返ってみると、染み付いた受験時の思い出というのは「解けなかった記憶」なのだなあと気付かされる。

他に思い出そうとしてみれば、センター直前のインフルエンザの記憶、絵筆を洗うバケツを試験中にぶちまけた記憶(試験官の先生に汲み直させるという失態、しかもその先生が入学したらまさかの学年担任だったという展開)、合格発表を見に行ったら人混みに押されて生垣に落下(同級生の皆さま、工学部管理棟入口のとこの半円状のあれですよ)した記憶、就活で試験会場までの道に迷って泣きそうになりながら電話した記憶、NTTのグループディスカッションで発表していたら切り忘れていたピッチがなってしまいしかもそれがDDIポケットの端末だった記憶、面接が終わって立ち上がったらパイプ椅子をなぎ倒した記憶、面接部屋のソファーが深すぎて埋まってしまい立ち上がれなかった記憶。あれもこれも失敗の記憶ばかりだ。

成功の記憶……必死に思い起こしてみれば1つだけあった。たまたま二次試験の前日に手を出した問題が7割型そのまま出たのだ。実にラッキーだった。でもよくよく考えてみると、綺麗に浮かぶのは「試験日前日に及びながら全く刃が立たずに解答を見る羽目になって自分に絶望した問題」がそのまま出たという記憶だし、そこまでツイているのにもかかわらず「(7)だか(8)だかの最後の問いだけがどうしても解けなくて猛烈悔しかった」という記憶なのだ。結局苦しんだ記憶でしかない。そしてこちらも未だに覚えている、マレイン酸とリンゴ酸め、このやろう。解けなかった方のリンゴ酸の方は特に許せん。

段々単なる粘着質な人になってきてしまった。
まあ、その瞬間瞬間は絶望的な気持ちを抱え込んだものだが、結局今やどれも笑い話だ。失敗体験が心に残るのは、きっとどれもこれも、それを乗り越えて今がある、という起点の記憶だからなのかもしれない。振返りたくもない失敗の記憶ではなく、最終的には目的を達成できた失敗の記憶。目的を達成し、そこから人生が動いた記憶。そこにちょっとだけ加わるスパイスのような苦味、辛味がピリピリと残り続けるのだろう。そんなことを考えながら、はたして彼らは将来今日という日に起きた何かを思い出すのだろうか、などと思いながら道行く就活生や受験生を眺めるのである。

2014/02/05

セブンイレブンからの暗号(多分)

勤務先ビルの地下にあるセブンイレブンは、本当にセブン-イレブン(朝7時~夜11時)で営業している清々しさを持ち、商品は常に補充され充実の棚を誇り、店員のオペレーションクオリティが素晴らしい(宅急便や支払いの伝票の処理の時に特に実感できる)ことで大変好ましいのだが、「1時間あたりの坪単価売上が全国でもトップクラスらしい」とか何とかいう風のうわさを最近耳にした。

まあ、弊社が田町にあった頃も「1Fのタリーズは坪単価売上が日本1」「地下のピーコックのお惣菜売上は日本1」「ビルの正面道路渡ったとこのローソンは深夜2時以降の売上が日本1」とかいう伝説(本当かどうかは知らない)も聞こえてきていた。そこから類推するに、基本的に弊社付近にある店舗は、コミュ障気味で一人飯がちな弊社社員達(私も含む)にハイエナの如く陳列商品を食い尽くされる運命にあるのかもしれない。とまあそんなわけで、セブンイレブンにまつわる噂もあながち嘘八百というわけではないのだろう。

そんな地下のセブンイレブンが、写真のような掲示を最近行っている。

まあ「セブンイレブンのコーヒー飲み過ぎだろこのビル住人」という突っ込みはさておき、とりあえずこのセブンイレブンが繁盛していることが確認できる内容だ。しかしそれにしてもこれは一体誰にむけたメッセージなのか、この掲示の意図は那辺にありや?……と引っかかって仕方がない。

客に対してか?「4台になって便利!」ということか?
いやしかし3台のセブンカフェ前に大行列とか、台数が少すぎてしょっちゅうコーヒーが切れるという場面にはあまり遭遇したことがなく、台数が少ないことに不満を持っている人がそんなに発生していたようには思いづらく、どうも素直には納得しがたい。

そうなると「セブンイレブン他店舗」に対する勝利宣言なのか?という気もしてくる。視察か何だかわからないけど、とにかく通りがかりのセブンイレブン関係者に対して「やったどー!(ドヤ」という喜びを見せつけるためのものだろうか。4台目導入は実はセブンイレブン界ではものすごいステイタスなのだろうか。男子フィギュアにおける4回転ジャンプ的な「今これを飛べない奴は優勝争いに絡めない」ステイタスと同様「今時セブンカフェ4台置いてない店舗は優秀店舗争いに加われぬ」みたいなことだろうか。つまり東京は鳥取県を除く各府県の争いから地味に脱落している中、ようやく加われたという宣言なのか。

もしくは近隣の強豪店舗への宣言だろうか。同じビル内のスターバックス、illyコーヒー、目の前のエクセルシオール、タリーズに対して「コーヒー飲用客、ぶっちゃけお前らのところから俺ら引き剥がしてるから!4台入れても余裕でまわるぐらいの売上誇ってるから!(ドヤ」的な勝利宣言か。

わからぬ。
何の宣言なのだ。
あるいは分かる人にだけ分かる暗号通信か。
悔しいぞ、私には読み取れないけれど。

まあいい、仮に強豪コーヒー店への勝利宣言だか宣戦布告だかとにかくそれ的な宣言、ということにしておこう。仮にそう設定したとして、最後に一つだけ、これをクリアしてくれればもう完璧なのにということをしたためておきたい。

それは「小柄で萌え声で笑顔が可愛らしい癒し系店員」の存在である。それだけは申し訳ないが同じビル内のスタバに負けている。伏し目がちのメガネ男子店員とか、元気な気の良いおばちゃん店員とか、俊敏なデブ店員とか、安定の枯れたおじさん店員とか、既に条件は揃っているのだ。是非、是非頼む。

以上、届ける気がないエールでした。