2002年日韓ワールドカップが開催されていた頃、日本vsチュニジア戦を見るためにある日、私は大阪長居競技場に向かって新幹線に乗っていた。
その頃東京は、試合が東京で開催されることは無いにもかかわらず町全体がワールドカップに浮き足立っているようだったし、数々のテレビつきの店が日本戦以外の試合も流していた。そして少なくとも、私が観戦に行った横浜や鹿島も同様であったし、人に伝え聞くところに寄れば静岡や新潟や札幌も同様であったらしい。テレビの内容もワールドカップに関わるニュース一色に近い状況であったし、正に日本中がサッカーの祭典に沸き立っているように思えていた。
もちろんこれから試合を見に行く私自身が沸き立っていないわけが無く、もはやその時点で本戦出場の道が開けているとはいえ、日本代表が有終の美を飾ってくれることを願いつつ興奮状態で新幹線に乗っていた。
やがて新幹線は新大阪に着き、日本で2番目の大都市であり、本日試合が行われる大阪市に降り立ち、競技場に向かうべく電車を乗り換えようとして、そして何か違う雰囲気を感じたのだった。日本代表を応援するべく、青のレプリカユニフォームを着たサポーター達が街を闊歩している姿は、東京或いは横浜そのほかの都市と変わらないのに、何か違う雰囲気。───しばらくして私はその違和感を理解した。
大阪の街は冷静だ。
あの浮き足立ったような東京とは打って変って、大阪の町は青いレプリカユニホームの一団に、特段興味はむいていなかった。ワールドカップは、大阪の町を盛り上げてはいなかった。もちろん、0ではないとは思う。しかし他の都市と比べて明らかに低いテンション。なまじ大阪人はテンションの高さが印象にあるだけに、そこにものすごく不思議な思いを抱き、そしてふと思ったのだ。
大阪は、阪神でないと盛り上がらないのではないか。
これはやや確信に近かった。大阪は、東京ほどミーハーになれ切れない大阪は、まだまだ野球が一番で、腹の底から盛り上がれるのはどんな成績を示しても嫌うに嫌えない阪神タイガースが優勝するときなのだと。その当時は阪神が低迷していた時期だけに、その思いは余計強くなった。高々一過性の流行で終わるかもしれないサッカーに、そんな熱狂していられるものかと。そんな無駄なエネルギーは使えるかと。野球こそ、阪神こそ命。
その日試合は日本代表が勝ったわけだが、試合があった大阪よりも、新幹線で数時間後降り立った東京の方がよほど大騒ぎなのを目にし、やはり前述の思いを強くした。そして、なんだかんだ言っても「きっと日本全体を見れば大阪の感じ、な人の方が多いのだろう」と感じ入った。
ワールドカップ開催は、サッカーが日本に根付く為の序章にしか過ぎないのであり、まだまだ日本は野球文化のほうが強いのだと。そしてワールドカップこそ盛り上がっているが、Jリーグはまだまだ地味な存在であることを振り返るにつけ、サッカー好きな(ちなみに私は野球も好きであるが)私としては、野球という存在が非常に強大に見え、ミーハーなお祭り騒ぎへの便乗を反省させた。サッカーが、野球と同等に当たり前のように存在するようになるのはいつのことだろうか、とおそらく遠い未来に思いを馳せた。
多分、判断の試金石として大阪の町は最適であろう、とおぼろげながら思い、その実現は遠い遠い先に思えたのだった。
そんなことを、思ったのが3年半ほど前の話だ。
そして今年2005年。Jリーグは近年まれに見る緊迫した優勝争いになった。代表戦は見るけどJリーグはね、といっていた人までちょっと見てみようかなと思わせるような、そしてサッカー好きとしても自信を持ってお勧めできるような最終戦を迎えた12月3日土曜日。5チームが競合し、かつて無い熱戦を繰り広げ、最終的には大阪同士の争いとなり、サッカーの町浦和や鹿島のサポーターのため息を受けながら、ガンバ大阪が優勝を決めた。
そして、画面を通してでしかないものの、明らかに大阪にもサッカーが根付きつつある興奮を見た。3年前、遥か先に思えたサッカーの根付いた未来は、選手達監督たちの頑張りで思いのほか早く進んでいることが感じられた。確実に、日本のサッカーは実力も文化も成長している。明らかに成長している。最終戦の結果よりも何よりも、それをただただ、うれしいと強く強く実感した。
ガンバ大阪、優勝おめでとう。
浦和レッズ、残念でした。
でも、最終戦4-0は夢を見せてくれたし、感動しました。
来年も興奮する試合を待っています。
まあとりあえず、私のサッカー観戦は元旦の天皇杯決勝から。
毎年、行っています。
来年も、行きます。
(予選も、見ています)