2014/02/24

エレベーターの生態

先々週ぐらい……要は2月の初頭頃、同じ会社に勤める夫が突然
「ねえねえ最近さあ、会社のエレベーターで20Fとか行くヤツの方に、ネコがボタン押してるみたいなエレベータあるよね。」
と言い出した。

意味がわからない。

床板にアンモナイトの化石がいるエレベーターなら知ってる。あと、恐らくイライラしがちな人が苛ついて押ボタンにボールペンを突き立てまくった結果凹みが出来てしまったエレベーターも知ってる。閉じるボタンの色が剥げかけてるエレベーターが幾つかあるのも知ってる。でも、ネコは知らん。

意味がわからないという顔を多分おもいっきりしていたからだろう、
「ほんとなんだって!押すボタンの周りがさあ、毛だらけでもっふもふなんだよ!ネコっぽい毛なんだよ!」
と畳み掛けてきた。

だが全く意味がわからない。
わからないものはわからない。

ビルの清掃員の中にあの猫村さんでも混じってきたのかと一瞬考えた。それは会いたい、マジで会いたい。なんなら出待ち追っかけをいとわないぐらいだ。ラブ、猫村さん。
いやしかし一方で、あの猫村さんというのは仕事クオリティが大変高い方でもいらっしゃると認識している。その猫村さんが、いくら自分がネコとはいえ清掃対象にそんなモフモフとネコ毛を残していくなどなさるだろうか。いや、ない。猫村さん出現ビルであるという選択肢は、無い。

とまあここらあたりで思考は止まり、このことはすっかり忘れていた中で先週の金曜日、突然私は遭遇した。エレベーターのボタン周辺が毛だらけなのだ。モフモフとまでは行かないが、とにかく毛にあふれている。モヘアの手袋でちょっと触った程度の範囲ではない。全体的に、毛。そしてたしかにその繊維感がネコの毛っぽい。

マジだ、夫の言っていることは本当だった。ネコエレベーター、ほんとにあった……っていうかこれまじ意味不明なんだけどなんだこれ?!明らかに毛が大量に……全面的に……どちらかと言えば一瞬キモい。毛だらけ過ぎるにも程がある!どうしてこんなことに?!


※アバウトだがだいたいこんなかんじの様子だった

と思って数時間後、また別のエレベーターに乗ろうとしたら、中に清掃員の方がいた。正にエレベーターの押ボタンあたりを拭き拭きしていて、私と入れ替わるように出て行った。そしてそのエレベーターの押ボタンは毛だらけだった。

これか。
犯人はおまえか。
お前がネコか。
いや、でも普通に人にしか見えないぞ?

そんな中私は、そのエレベーターには自分しか乗っていなかったのをいいことにボタン周辺をジロジロ眺めた。とりあえず「押ボタン周辺は掃除したてと分かるような湿り具合」であることを確認する。そして思ったのだった。

「今の清掃員の雑巾は抜け毛体質すぎる」

つまりネコ毛あふれるエレベーターが出現していたのでは全くなく、「ネコっぽい繊維をはらんだ抜け毛体質の雑巾で掃除されたエレベーター」があるということなのだった。

ただ判断つかないのは「抜け毛体質が酷い特定の雑巾があり、それによる掃除にあたってしまったエレベーターがもれなくネコネコしい感じになる」のか、「雑巾は基本的に抜け毛体質のものが使われており、水拭き段階では必ずネコネコしくなる。ただし掃除した後に乾拭きしない清掃員にあたるとネコネコしいエレベーターが出来上がってしまう」のかの判別はまだついていないのだった。

さらに言えば「エレベーター自身が抜け毛体質」という可能性も否めないのである。なにせまさに今冬毛から夏毛に切り替わる季節だからだ。

あとはまあ原子生命繊維が、エレベーターを通じて学園……じゃなかった勤務先のビルを支配しようとしている(byキルラキル)というのもあるかもしれない。


はてさて、私が遭遇したあの清掃員はどうだったのか。雑巾運が悪い人だったのか、それとも乾拭きサボり員か。現時点では判別はついていない。
そして今日のところはそのネコネコしいエレベーターには遭遇していない。


続報は、無い。

2014/02/17

試験の記憶

先日、中高同級生の結婚式があった。中学受験をくぐり抜ける必要が有るため、同級生は基本的には皆同じ試験を突破している。結婚式後に会場をはけて数人でお茶をしているうちに、いつしか受験問題の話になった。国語の第一問がやけに難しくてハマってしまい、焦ったという話である。1人は余りにもわからなくて頭が真っ白になってもう落ちたと思ったといい、1人はこれはハマるパターンだと思って後回しにしたという。が、私は全く思い出せない。そのうちに具体的な問題の話になり

「あれ電線に雀がドレミファソラシドよ」

とか書いてある問題文だったことが明かされた。そして「雀と電線は何を表していますか」というのが問一で、それがわからなかったのだと友人たちは口々に言う。そういえばそうだったかもしれない。そうだそうだ、そうだった。私はあの時、読んだ瞬間に情景が運良くパッと浮かんだのでサクサク解けたのだった。実にラッキーだった。

そういえばあれはどんな物語だったのだっけ、と思って帰って調べてみれば、電線の上にいるのは雀ではなくて燕だし、物語ではなくて三好達治の詩だった。いや、もしかしたら友人たちは燕と言っていたかもしれない。話半分に聞いていて勝手に雀にしたのは私だったか。まあとにかく適当だ。もし今同じ問題が目の前に来たらもれなく「それは本当に電線なのか、ケーブルテレビや電話線の可能性はないのか」とか考えてしまうだろうなとも頭に浮かんだが、いやこれはこの話には関係ない。とにかく記憶は曖昧なものだ、それにしてもよくみんな覚えている、私はすっかり忘れていた……と思いながら、では受験で覚えているものはと思い巡らせてみれば気づくことがあった。

私の場合、強烈なのはセンター試験の国語の記憶で「ここは③か④で迷うところだが③を選びたい」なんて回答で解説される問題のほぼ全てにおいて、必ず間違った方を選んでいたという事態を引き起こし、目も当てられない様な惨憺たる結果となった。そしてその日からもう20年ほどが過ぎているというのに、未だに国語と、そして元々苦手だった英語の案の定な自己採点結果をしつこく覚えているのだ。ついでに言うと国語に関しては全国平均の点数まで覚えている。恥ずかしいからわざわざ書かないが、今でも言える。すぐ言える。

もう一つは二次試験の数学だ。解き初めて早いうちに、どうもこれはハマる問題だと気付き早々に後回しにし、他の問題を問いてから再度取り組んだもののどうしても糸口がつかめない。結局その問題は手付かずのままに終わった。受験当時はもう落ちた絶対落ちたと気に病んだものだが、まあ国立大学の全6問だか5問だかの1問でしかない。100点近く取らないと通らないような私立の試験とは違う、6割ぐらいでOKだと言われているのだ。その条件下ならたかが1問、今にして思えば合否に関わるような点数配分なわけもなく、多分他が合っていたのであろう、無事に私は合格した。

それでも私は覚えている。
具体的な問題そのもの、式そのものはもう忘れてしまったものの「xとaが混ざった方程式で、通常ならx=変数・a=定数であるところを、x=定数・a=変数と扱わないと解けない問題」であったという条件だけは未だに忘れられないのである。中高同級生もまた同じだ。同級生になっているということは、合格したということだ。合格したのに「あれ電線に燕がドレミファソラシドよ」というフレーズを覚えている。こうして振り返ってみると、染み付いた受験時の思い出というのは「解けなかった記憶」なのだなあと気付かされる。

他に思い出そうとしてみれば、センター直前のインフルエンザの記憶、絵筆を洗うバケツを試験中にぶちまけた記憶(試験官の先生に汲み直させるという失態、しかもその先生が入学したらまさかの学年担任だったという展開)、合格発表を見に行ったら人混みに押されて生垣に落下(同級生の皆さま、工学部管理棟入口のとこの半円状のあれですよ)した記憶、就活で試験会場までの道に迷って泣きそうになりながら電話した記憶、NTTのグループディスカッションで発表していたら切り忘れていたピッチがなってしまいしかもそれがDDIポケットの端末だった記憶、面接が終わって立ち上がったらパイプ椅子をなぎ倒した記憶、面接部屋のソファーが深すぎて埋まってしまい立ち上がれなかった記憶。あれもこれも失敗の記憶ばかりだ。

成功の記憶……必死に思い起こしてみれば1つだけあった。たまたま二次試験の前日に手を出した問題が7割型そのまま出たのだ。実にラッキーだった。でもよくよく考えてみると、綺麗に浮かぶのは「試験日前日に及びながら全く刃が立たずに解答を見る羽目になって自分に絶望した問題」がそのまま出たという記憶だし、そこまでツイているのにもかかわらず「(7)だか(8)だかの最後の問いだけがどうしても解けなくて猛烈悔しかった」という記憶なのだ。結局苦しんだ記憶でしかない。そしてこちらも未だに覚えている、マレイン酸とリンゴ酸め、このやろう。解けなかった方のリンゴ酸の方は特に許せん。

段々単なる粘着質な人になってきてしまった。
まあ、その瞬間瞬間は絶望的な気持ちを抱え込んだものだが、結局今やどれも笑い話だ。失敗体験が心に残るのは、きっとどれもこれも、それを乗り越えて今がある、という起点の記憶だからなのかもしれない。振返りたくもない失敗の記憶ではなく、最終的には目的を達成できた失敗の記憶。目的を達成し、そこから人生が動いた記憶。そこにちょっとだけ加わるスパイスのような苦味、辛味がピリピリと残り続けるのだろう。そんなことを考えながら、はたして彼らは将来今日という日に起きた何かを思い出すのだろうか、などと思いながら道行く就活生や受験生を眺めるのである。

2014/02/05

セブンイレブンからの暗号(多分)

勤務先ビルの地下にあるセブンイレブンは、本当にセブン-イレブン(朝7時~夜11時)で営業している清々しさを持ち、商品は常に補充され充実の棚を誇り、店員のオペレーションクオリティが素晴らしい(宅急便や支払いの伝票の処理の時に特に実感できる)ことで大変好ましいのだが、「1時間あたりの坪単価売上が全国でもトップクラスらしい」とか何とかいう風のうわさを最近耳にした。

まあ、弊社が田町にあった頃も「1Fのタリーズは坪単価売上が日本1」「地下のピーコックのお惣菜売上は日本1」「ビルの正面道路渡ったとこのローソンは深夜2時以降の売上が日本1」とかいう伝説(本当かどうかは知らない)も聞こえてきていた。そこから類推するに、基本的に弊社付近にある店舗は、コミュ障気味で一人飯がちな弊社社員達(私も含む)にハイエナの如く陳列商品を食い尽くされる運命にあるのかもしれない。とまあそんなわけで、セブンイレブンにまつわる噂もあながち嘘八百というわけではないのだろう。

そんな地下のセブンイレブンが、写真のような掲示を最近行っている。

まあ「セブンイレブンのコーヒー飲み過ぎだろこのビル住人」という突っ込みはさておき、とりあえずこのセブンイレブンが繁盛していることが確認できる内容だ。しかしそれにしてもこれは一体誰にむけたメッセージなのか、この掲示の意図は那辺にありや?……と引っかかって仕方がない。

客に対してか?「4台になって便利!」ということか?
いやしかし3台のセブンカフェ前に大行列とか、台数が少すぎてしょっちゅうコーヒーが切れるという場面にはあまり遭遇したことがなく、台数が少ないことに不満を持っている人がそんなに発生していたようには思いづらく、どうも素直には納得しがたい。

そうなると「セブンイレブン他店舗」に対する勝利宣言なのか?という気もしてくる。視察か何だかわからないけど、とにかく通りがかりのセブンイレブン関係者に対して「やったどー!(ドヤ」という喜びを見せつけるためのものだろうか。4台目導入は実はセブンイレブン界ではものすごいステイタスなのだろうか。男子フィギュアにおける4回転ジャンプ的な「今これを飛べない奴は優勝争いに絡めない」ステイタスと同様「今時セブンカフェ4台置いてない店舗は優秀店舗争いに加われぬ」みたいなことだろうか。つまり東京は鳥取県を除く各府県の争いから地味に脱落している中、ようやく加われたという宣言なのか。

もしくは近隣の強豪店舗への宣言だろうか。同じビル内のスターバックス、illyコーヒー、目の前のエクセルシオール、タリーズに対して「コーヒー飲用客、ぶっちゃけお前らのところから俺ら引き剥がしてるから!4台入れても余裕でまわるぐらいの売上誇ってるから!(ドヤ」的な勝利宣言か。

わからぬ。
何の宣言なのだ。
あるいは分かる人にだけ分かる暗号通信か。
悔しいぞ、私には読み取れないけれど。

まあいい、仮に強豪コーヒー店への勝利宣言だか宣戦布告だかとにかくそれ的な宣言、ということにしておこう。仮にそう設定したとして、最後に一つだけ、これをクリアしてくれればもう完璧なのにということをしたためておきたい。

それは「小柄で萌え声で笑顔が可愛らしい癒し系店員」の存在である。それだけは申し訳ないが同じビル内のスタバに負けている。伏し目がちのメガネ男子店員とか、元気な気の良いおばちゃん店員とか、俊敏なデブ店員とか、安定の枯れたおじさん店員とか、既に条件は揃っているのだ。是非、是非頼む。

以上、届ける気がないエールでした。