2014/02/17

試験の記憶

先日、中高同級生の結婚式があった。中学受験をくぐり抜ける必要が有るため、同級生は基本的には皆同じ試験を突破している。結婚式後に会場をはけて数人でお茶をしているうちに、いつしか受験問題の話になった。国語の第一問がやけに難しくてハマってしまい、焦ったという話である。1人は余りにもわからなくて頭が真っ白になってもう落ちたと思ったといい、1人はこれはハマるパターンだと思って後回しにしたという。が、私は全く思い出せない。そのうちに具体的な問題の話になり

「あれ電線に雀がドレミファソラシドよ」

とか書いてある問題文だったことが明かされた。そして「雀と電線は何を表していますか」というのが問一で、それがわからなかったのだと友人たちは口々に言う。そういえばそうだったかもしれない。そうだそうだ、そうだった。私はあの時、読んだ瞬間に情景が運良くパッと浮かんだのでサクサク解けたのだった。実にラッキーだった。

そういえばあれはどんな物語だったのだっけ、と思って帰って調べてみれば、電線の上にいるのは雀ではなくて燕だし、物語ではなくて三好達治の詩だった。いや、もしかしたら友人たちは燕と言っていたかもしれない。話半分に聞いていて勝手に雀にしたのは私だったか。まあとにかく適当だ。もし今同じ問題が目の前に来たらもれなく「それは本当に電線なのか、ケーブルテレビや電話線の可能性はないのか」とか考えてしまうだろうなとも頭に浮かんだが、いやこれはこの話には関係ない。とにかく記憶は曖昧なものだ、それにしてもよくみんな覚えている、私はすっかり忘れていた……と思いながら、では受験で覚えているものはと思い巡らせてみれば気づくことがあった。

私の場合、強烈なのはセンター試験の国語の記憶で「ここは③か④で迷うところだが③を選びたい」なんて回答で解説される問題のほぼ全てにおいて、必ず間違った方を選んでいたという事態を引き起こし、目も当てられない様な惨憺たる結果となった。そしてその日からもう20年ほどが過ぎているというのに、未だに国語と、そして元々苦手だった英語の案の定な自己採点結果をしつこく覚えているのだ。ついでに言うと国語に関しては全国平均の点数まで覚えている。恥ずかしいからわざわざ書かないが、今でも言える。すぐ言える。

もう一つは二次試験の数学だ。解き初めて早いうちに、どうもこれはハマる問題だと気付き早々に後回しにし、他の問題を問いてから再度取り組んだもののどうしても糸口がつかめない。結局その問題は手付かずのままに終わった。受験当時はもう落ちた絶対落ちたと気に病んだものだが、まあ国立大学の全6問だか5問だかの1問でしかない。100点近く取らないと通らないような私立の試験とは違う、6割ぐらいでOKだと言われているのだ。その条件下ならたかが1問、今にして思えば合否に関わるような点数配分なわけもなく、多分他が合っていたのであろう、無事に私は合格した。

それでも私は覚えている。
具体的な問題そのもの、式そのものはもう忘れてしまったものの「xとaが混ざった方程式で、通常ならx=変数・a=定数であるところを、x=定数・a=変数と扱わないと解けない問題」であったという条件だけは未だに忘れられないのである。中高同級生もまた同じだ。同級生になっているということは、合格したということだ。合格したのに「あれ電線に燕がドレミファソラシドよ」というフレーズを覚えている。こうして振り返ってみると、染み付いた受験時の思い出というのは「解けなかった記憶」なのだなあと気付かされる。

他に思い出そうとしてみれば、センター直前のインフルエンザの記憶、絵筆を洗うバケツを試験中にぶちまけた記憶(試験官の先生に汲み直させるという失態、しかもその先生が入学したらまさかの学年担任だったという展開)、合格発表を見に行ったら人混みに押されて生垣に落下(同級生の皆さま、工学部管理棟入口のとこの半円状のあれですよ)した記憶、就活で試験会場までの道に迷って泣きそうになりながら電話した記憶、NTTのグループディスカッションで発表していたら切り忘れていたピッチがなってしまいしかもそれがDDIポケットの端末だった記憶、面接が終わって立ち上がったらパイプ椅子をなぎ倒した記憶、面接部屋のソファーが深すぎて埋まってしまい立ち上がれなかった記憶。あれもこれも失敗の記憶ばかりだ。

成功の記憶……必死に思い起こしてみれば1つだけあった。たまたま二次試験の前日に手を出した問題が7割型そのまま出たのだ。実にラッキーだった。でもよくよく考えてみると、綺麗に浮かぶのは「試験日前日に及びながら全く刃が立たずに解答を見る羽目になって自分に絶望した問題」がそのまま出たという記憶だし、そこまでツイているのにもかかわらず「(7)だか(8)だかの最後の問いだけがどうしても解けなくて猛烈悔しかった」という記憶なのだ。結局苦しんだ記憶でしかない。そしてこちらも未だに覚えている、マレイン酸とリンゴ酸め、このやろう。解けなかった方のリンゴ酸の方は特に許せん。

段々単なる粘着質な人になってきてしまった。
まあ、その瞬間瞬間は絶望的な気持ちを抱え込んだものだが、結局今やどれも笑い話だ。失敗体験が心に残るのは、きっとどれもこれも、それを乗り越えて今がある、という起点の記憶だからなのかもしれない。振返りたくもない失敗の記憶ではなく、最終的には目的を達成できた失敗の記憶。目的を達成し、そこから人生が動いた記憶。そこにちょっとだけ加わるスパイスのような苦味、辛味がピリピリと残り続けるのだろう。そんなことを考えながら、はたして彼らは将来今日という日に起きた何かを思い出すのだろうか、などと思いながら道行く就活生や受験生を眺めるのである。