2014/10/15

コンテンツ体験にかかわる妄想

物語の本筋から想定される「明らかな人間関係」がある。
主人公とヒロインはくっつくとか、主人公の友人はいいやつなんだけど振られるとか、ヒロインのライバルは後にヒロインの親友になるとか、そういうやつ。

そういう本来の設定や背景や話筋から横道にそれて、関係性を妄想する遊び、いや思考回路を「やおい」と呼ぶ、と私は理解している。男×男だとBL、女×女だと百合と呼んだりもする。

言うまでもないだろうが、この「やおい」的思考回路の持ち主は、世間一般の人達からは気持ち悪がられる。
腐女子と呼ばれたり、百合豚と呼ばれたり。
蔑称には事欠かない。

ちなみに私はといえば、突き詰めて考えると「やおい=関係性妄想遊び」容認派であり、「時に参加することも厭わない」人間であると思う。

積極的ではないが、面白いことを、至極楽しい遊びであることを私は知っている。主食ではないがデザートではあるぐらいの感じのレベルでの好きだ。

だが、やおい求道者からはバカにするなと怒られるレベルの底の浅さだ。腐女子なんて恐れ多くて名乗れませんぐらいの感じだ。と言いつつも同時に、世間一般の目線からすれば、腐女子の類に入るし、気持ち悪がられても仕方のない人間の一部だということは認識している。


さて、私はアニメとドラマ大好き人間なので、twitterでも同様の人達をフォローし、日々コンテンツ視聴とともにtwitterのタイムラインを楽しんでいる。

世の中には同じ作品を沢山の人達が様々な視点で試聴し、さまざまな目線で解釈している。それらが乱雑に降りしきる状況はとても楽しい。自分の気付かなかったシーン、自分の見過ごしたセリフ、自分とは違う解釈、実に面白い。

そんな中にも、語りの系統は2つある。
純粋に物語のテーマを解釈し、制作技術(作画とか、カメラワークとか、劇伴とか、演技とか)を評論しようと試みる人達。
自分のお気に入りの登場人物の組合せを見出し、ひたすらその中での関係性の妄想をほとばしらせ続ける人達。

前者は物語の理解を助ける「評論家」として重宝されがちだ。世間一般にも受け入れられやすい。
後者はもちろん、やおい思考回路の人達だ。世間一般では気味悪がられ……で済めばいい方で、忌み嫌われ叩かれるることもある。

が、実際日々両方の投稿を浴び続けていると「より作品を好きになリ、楽しめる」様になるのは、やおい的思考回路からほとばしる妄想群だということに気付かされる。

評論は「作品の価値をより深く理解する」ことにつながるが、時にけなすような意見もたくさん目にすることもある。個人的に気に入ってる作品でそれをやられると、自分の感性すら否定されたような気分になって、まあへこむ。
気分のいいものではない。そして時に、好きなコンテンツが減ることもある。

一方、やおい系思考回路は基本的には個人の妄想の発露でしかない。
他人からしてみれば押し付けだ。
が、そこには愛がある。

普通に見ていたら大嫌いだった敵キャラや、いけ好かなかったサブキャラたちの、ちょっとした仕草やちょっとした表情、たった1回だけ紡がれた発言をこまめに拾い、愛すべき人物像が作り上げられ、それを周囲に振りまいていく。それを浴び続けていると……あら不思議。

気が付いたら、敵も味方もメインもサブも、その作品の全てのキャラクターたちが愛すべき存在に思えてくるのだ。

主人公をいじめるあのムカつくあいつ。
表情も言動も気に食わない。
あのキャラさえいなければ、もうちょっと心地よくこの作品を楽しめるんだけどなあ、ホントイライラする、なんて思っていたりする。

ところがある日、そのムカつくキャラを主軸にした、どこかの誰かによる妄想サイドストーリーを私は知ってしまう。

するといつしか、あの暴言、あのイラつく目つき、あの腹立つ暴力にさえ、心に痛みを抱えた人間の悲哀であり家に帰れば猫を可愛がる愛すべきキャラクターに見えてくる。

むしろ、それをわかってあげられない主人公側に、もどかしささえ感じてみたり。
そんなに嫌うなよな、ぐらいの勢いで。

そして、また別の妄想を目にし、主人公とムカつくキャラが、本筋とは別のところで実はわかりあえていたり、仲良くしたりしている展開を知って満足する。

こうやって、気付けば全てのキャラクターに愛を振りまく自分に気づく。

これは、この上なく楽しいコンテンツ体験だ。

物語の本筋にドキドキし、時に喜び、時に怒り、時に悲しみながら、毎回毎回嬉々として妄想の先に見える人間関係に萌え、そして癒されることを楽しめる。

やおいの世界は、仲良き事は美しき哉の世界。
そしてそれは決して男×男(BL)、女×女(百合)だけではなく、男女でもまたありだろう。

実はあいつら付き合ってるんだぜ怪しいよなとか、昨日の飲み会の後二人が消えた先で何が起きていたのかを勝手に予想するとか、そんなこと学校でオフィスで日々あちこちで繰り広げられているではないか。そういうのが「やおい」の原点だと思う。

気持ち悪がるあなたも、やおいの素養は少なからず持ち合わせている。

というわけで「毛嫌いせずに自分の世界を広げると思って、やおいの世界にちょっくら足を踏み入れてみませんか」という誘い文句はどうだろう、というところまで考えて我に返った。
 
 
 
さていったい私は誰を何に勧誘しようとしていたんだ?