2015/06/09

闘魂は萌えているか


先日、国会議事堂の参議院側を見学していた時、議事堂内のコンビニでアントニオ猪木さんの闘魂タオルが売られていたのを見て「国会議事堂って案外商魂たくましいのだな」などと思ったことがあった。

そして知人に「こんなのまで売ってるよ国会」とLINEでやりとりしている流れで「燃える闘魂」ではなくて「萌える闘魂」と変換されてしまった。
なんだろうか「萌える闘魂」。
マッスル萌えみたいなものだろうか。

その後にパソコンで打ち込んでみたら、まあ直前に変換していたものがいろいろ問題ということもあろうが、「萌える刀痕」などと変換されてしまい、うーん、刀傷萌えジャンル、それはそれであるのかもしれないなどと考える羽目になり、しばし何か違う世界へとトリップしそうになった。


それはそうと燃えるのか萌えるのかという話で頭に浮かびがちなのが、ゴミだろう。
萌えるゴミと萌えないゴミ。
物性ではなく心理的に分けるゴミ区分。


ゴミ区分といえば、小学校だか中学校だかもう忘れてしまったが「燃えるゴミ/燃えないごみ」ではなく「燃やせるゴミ/燃やせないゴミ」という表記があり、生徒がいたずらして文字を消してるもんだから「やせるゴミ/やせないゴミ」になっているというところがあった。
最初は単に笑って終わりなのだが、冷静に考えると燃焼処理されて灰になる燃えるゴミは、確かに量が減る=やせると言えるし、その逆もまた言えるので、真理をついた表現であるとも言えるじゃないかと気づくことになる。


という観点でもう一回「萌えるゴミ/萌えないゴミ」にも何らかの真理が表出していないだろうかと考えてみるのだが、まあろくなものが出てこない。

ごみ処理ルールには地域差があるように、萌え区分には地域差が出てくるんだろうかとか。
横浜市ではこれは萌えたのに、あらやだ、大宮市ではこれは萌えないのね、といったような。
萌えるゴミと萌えないゴミ、環境にやさしいのはどちらの方なんだろうかということも気にかかる。
萌えるゴミは、特に暑い夏なんかは臭いを発しやすいので、朝にちゃんと出しましょうとかルールがあったりするんだろうかなあとか。
萌えるゴミの日はカラスが多いのよね、このへんは萌えを理解するカラスが多いから、ほんと賢くて困っちゃうわみたいな会話があったりするのだろうかとか。
○○さんの家は本当にゴミの分類が適当で困るわ、なぜこれを萌える方に入れてしまうのかしらとか苦情が出たりするのだろうかとか。
いやそもそも、家庭内ですらゴミ分類で揉めそうだ。夫婦で萌えの視点が違うことは大いにあるからだ。


本当に全く何の役にも立たない。
だが、多分平和だ。
実に平和だ。

父とカエルの攻防

関東が入梅したという。
そして今日、勤務先が入居しているビル敷地内でヒキガエルを見た。
港区赤坂というド都会だが、敷地内緑化はこんな巨大なカエルの棲息まで受け入れるのかとちょっとした感動を覚える。


と同時に、カエルといえばと想い出すエピソードがある。


ガーコ&ケロタンシリーズという、アヒルとカエルのキャラクターグッズがある。
とてもかわいらしい。


さてある日私の父は、東急ハンズで「ケロタンが小さいカエルを抱いている」貯金箱を発見した。

どうやら父は、その貯金箱に大層疑問を持ったようで、店頭で棚の前に立ち尽くしてだいぶ悩んでいたらしい。

今ならスマホで写真をとって「これなんだけどさ」と送れば済むものだが、いまから20年ほど前のことだ、そんなことはできない。そんなわけで父は、家族と悩みを共有するべくその「ケロタンが小さいカエルを抱いている貯金箱」を購入したのだった。


そして数時間後、学校から帰って早々の私を、待ち構えていたかのように捕まえて、ものすごい勢いで言った。

「これさあ、カエルが赤ちゃんカエルを抱いているんだと思う? それともカエルがカエルのぬいぐるみを抱いてるんだと思う? いやあ、ハンズで見つけて気になっちゃってさあ、しばらく前で悩んでたんだけど、わからないから買ってきたよ。」


あまりの勢いに私は一瞬引いた。
そもそもそんなに娘を待ち構えるほど悩むほどのことなのか、父。

カエルのキャラクターグッズの前で長時間真剣に悩むおやじって相当怪しくはないのか。
周りはほとんど若い女の子だったに違いない。
その中で、微動だにせずカエルの前で停止しているおっさん。
ああ、もしかしたらブツブツ独り言を言っていたかもしれない。
いやきっと言っていたに違いない、父だし。
想像するだにあやしい。
この上なくあやしい。

しかも、普通のおっさんならキャラクターグッズを「そそくさと恥ずかしそうに買う」のだろうが、悩みを一家で共有するために購入せんとする父は、そんな神経は働いていなかっただろう。むしろ「早くこの悩みを共有したい」とニコニコといそいそとレジに向かったに違いない。
ありえん。
くらくらしてきた。


しかし父の疑問は共有せねばならない。
家族平和のためだ。


そして私は実物を見た。
雑な絵で申し訳ないが、こんなやつだった。
かわいらしいカエルがこれまたかわいらしいカエルを抱いている貯金箱。
ケロタンはかわいい。
私も好きだ。

確かに大きさ比率的に、ケロタンが抱える小さなカエルは、ぬいぐるみとも、赤ちゃんとも言えるような大きさだ。



「わかんないだろう?」考えこんでいる風の娘を目の前に父は得意げだ。




そして、私は逡巡しながら言ったのだった。




「あのさ、カエルの赤ちゃんはおたまじゃくしだよ」




凍りついた父、当時50代後半。
結論は一瞬だった。
これはぬいぐるみを抱いているのである。