2016/01/18

小林幸子さんは復活ではなく、新生だと思う

今日、遅いランチを取りながら、隣の席で妙齢の奥様方が繰り広げる世間話に聞き耳を立てていた。

ベッキーとかキムタクとかまあ話題は色々だったが、途中に出てきた「小林幸子さんはユーチューバーとして復活したのよね」という発言が、どうにも引っ掛かってしまったのだった。

確かにネットの動画サイトで人気を得て復活したのは事実なのだが、それを「Youtubeではなくニコ動なのだ」と明確に分けて語りたい気持ちが沸き起こってくるのはなぜなのだろうか、と考え込む羽目になった。

思い出されるのは2015年のニコニコ超会議のことだ。
この年、私は未だに忘れられない2つの会話を耳にしている。


1つは朝、幕張メッセに向かう京葉線の中で聞こえた会話だ。

東京駅から一緒に乗った男子高校生ぐらいに見える3人は、最初の頃は聞こえるか聞こえないか程度の声量でぼそぼそと会話をしていた。
八丁堀駅を抜け、新木場に着くか着かないかあたりで、その中の1人がしみじみと
「お前らはこんないい景色を毎年見てたんだな」
とはっきりとした声で言ったのだ。

正直なところ「何を言っているんだ?」と耳を疑った。
私以外の乗客も「は?」というような反応で、発言した彼の周辺は、何やら微妙な空気が漂っていた。
なにせ、八丁堀~新木場間の車窓から見える光景だ。
お世辞にもいい景色とは言いがたく、むしろ「殺伐とした」「工業的な」「無味乾燥な」「灰色の」光景と言っても過言ではない。

これが?
いい景色?
これの?
どこが?

しかし、彼はそのままうっとりしたような口調で言ったのだ。
「僕、今日、超会議のために、家を出てきて、お前らとこうして電車に乗って本当に良かった。ずっと、ずっと部屋で、パソコンの前で見てきた超会議を生でみられるんだよな、僕。超会議を生で見る人はみんな、毎年毎年この景色を見ながら行ってたんだなあ……僕、今、同じ景色を見てるんだなあと思うとスゲー感動だわ、連れて来てくれてありがとうな。」


我ながら泣くかと思ってしまった。

こみ上げてきた涙を必死にこらえながら、こっそりとその彼を見た。
ファッションはちょっと微妙で、髪も限りなくボサボサで、顔色も悪いし肌もパサパサしていたけれど、目はキラキラとしていて、生命力があった。

おそらく長年引きこもりであったであろう彼が、何をきっかけに、何を刺激にニコニコ超会議への参加を求めて部屋を出て、家を出て、久しぶりの外出を果たしたのかを及び知ることはできない。

ただ、様々な家族や知人達の呼びかけに対して「そこは僕の居場所ではない、行き先ではない」と拒否してきたのだろう彼が、強く渇望するほどの何かがニコニコ超会議には存在し、1回きりの開催で終わらず毎年毎年開催され続けたからこそ、ついに外出にまで至らしめたのであろう、ということはとてもとても理解できた。



京葉線が海浜幕張駅に着き、男子3人組とはいつしか離れ、一通りの用事やら仕事やらを済ませて会場をフラフラしていた。

とあるステージをじっくり眺めていると、突然背後から「キャァ~~~~~♪♪♪」という女の子達の明るい歓声が聞こえてきて、なんだなんだと振り返ると、1人の女の子を、数人の女の子が囲んで握手したり抱きついたりしながら歓待している様子が伺えた。
高校時代の同級生同士が大学に進学してから会わなくなっていたのが、ここで偶然再会したとかそういう感じかなあと思いながら眺めていた。

「ね、ね、○○さんだよね、そうだよね、わかる?私たちのことわかる?久しぶりー!すごい!うれしい!会えるとは思ってなかった!超偶然!」
と、久しぶりの出会いを喜んでいる風だったが、ひとしきりの騒ぎが終わった後に、久しぶりの出会いを噛みしめられていた、囲まれた女の子がとつとつと語り始めた。

「私、本当は今日、来るか来ないか凄く迷ってたんだよね……ほら、アカウントで、いろいろあったから……何かもう周りはみんな敵ばっかりで、ニコ動も嫌だし、ネットも嫌だしってなって、接続全部絶ってたんだけど、でも、最初のニコ超で友達になった人にはちょっと会いたいなあってなって、遠くから眺められればいいやって、思い切って今日、来たんだよね。でもチケット買ったけど、昨日、何でお前なんか来てるんだよって言われたらどうしようって変な汗かくし、夢見悪いし、でも何か諦められなくて、こっそり行ってコッソリ見てコッソリ帰ろうって思ってたんだけど、良かった、良かった、来てよかった、ありがとう………」といって、涙をこぼし始めていた。

「うんうん、来てくれて本当に良かった、会えて嬉しい、もう二度と会えないんじゃないかって、すごい心配してたんだよ」取り囲む女の子たちは次々と口にして、みんなでニコニコしながら泣き笑いしている様子を横目で見ながら、なんだよもう今日は朝から何回も泣かされればいいんだよ、と目頭が熱くなるのをぐっとこらえていた。

ニコ動が拠点、ニコ動が戻る場所である人達がいて、さらにはその場所が人生においてとても重要な、もしかしたら本人にとってはかけがえのない、むしろ救いの一つであったかもしれない、そんな現実が今、眼の前にある、と強く感じられた。


ニコ動とは、そういうところだ。
小林幸子さんが紅白再出場を遂げるきっかけになったニコ動とは、そういう場なのだ。
コミュニティそのものを内包しているニコ動。
いやコミュニティというより、居場所という方がしっくり来るか。
小林幸子さんもまた、居場所を探して辿り着いた一人なんだろう。





Youtubeとニコニコ動画。
同じように動画共有サイトと分類されるが、Youtubeがそのままそのとおり動画共有サイトであるのに対し、ニコニコ動画は動画を介したコミュニティサイトだ。
Youtubeは別の場所に構築されている文化の一部が展開される場所であるのに対し、ニコニコ動画はその場そのものが文化と呼べるのではないか。

そのニコニコ動画が年に1回開催するニコニコ超会議を「巨大文化祭」と呼ぶとは言い得て妙だなあと思う。
自身の肉体がそもそも所属している土地や人間関係由来のコミュニティとは別に、心が求めたネット上の「居場所」が肉体化する瞬間がニコニコ超会議。
全身で自分の居場所を、存在意義を実感体感できる貴重な2日間。
若者にとってはまさに、心の部活(のようなもの)で実施する、みんなで作る文化祭そのものなんだろう。
大人の私が感じる以上に、きっとそれは切実なことだ。

さらには数年続けてきた結果、目指す場所であり、帰る場所にまで進化した。
結果、ニコニコ超会議は出会いだけでなく、温める旧交も生み始め、私は前述の2つの会話を耳にすることとなったのだろう。



そうして冒頭の考えに戻る。

Youtuberとして人気を得た上での紅白再出場だったら「一旦出場機会を失ったものの、既存の芸能文脈のままで、本人の実力をもって別の場所で人気を取り戻した」という流れなのではないか。
言葉で言うなら、純粋なる「復活」。

でも今の小林幸子さんをその言葉で表すのは違う気がした。
ニコ動という、芸能界とはまた違うコミュニティ、違う文化からの「登場」であり、それは表現するならば「新生」なのではないか。

小林幸子さんをYoutuberと括られると「うん、まあ大体そんな感じね」と妥協できずに、それは違うと言いたくなったのはその辺にあるのだろう。

2015年12月31日夜、NHKの番組の中で、その文化の一部が抽出され、テレビ電波に「今、載っている」という実感が、体感が、あの瞬間ニコ動ユーザー達の熱狂を呼び起こしたのではないだろうか。

ニコ動を居場所としない人達からは想像出来無いほどの感動、ネット上に吹き荒れる反応となった。

あの時ネットを中心に発生していた、妙な熱量が分からなかったとしたらそれは、くだらないからでもなく、世代が違うからでもなく、所属文化が違うからだ。
良いとか悪いとか、上とか下とかではなく、内か外かだったから。


Youtubeには内も外もない。
ありとあらゆる「内」の一部が格納されている、置き場だ。

でも、ニコ動にはある。

だから「ニコ動の内」の象徴的存在の小林幸子さんが、Youtuberと呼ばれたことに、私は違和感をもったのだろう。

お茶とケーキと世間話を楽しむ奥様方にとって、「Youtuber」には「ネット動画やってる人」以上の意味合いなど込められていないことはわかっていても、それでも、自分が内側の人間の一人だからこそ、こだわりたかったのだなあ、と気づく。


つまりそういうことなのだ。