2018/08/21

佐藤の思い出

電話「○○の◇◇と申しますが佐藤さんはいらっしゃいますか?」
私「申し訳ありません、こちらには佐藤は4名おりまして、下の名前はわかりますでしょうか?」
電話「………えー、あー………、メガネの方なんですが」
私「メガネの佐藤ですと、3人になるのですが……」
電話「おお…………比較的若い方だったと思うのですが」
私「……あー、メガネで比較的若い佐藤も2人おりまし、て……」
電話「………………すみません、調べてから改めます」
ということがその昔あったのを、急に思い出したのでしたためておく。
※電話の瞬間に4人の佐藤は全て離席中だった

秋田県民に捧ぐ1994年の記憶

1994年の夏。

勢いに乗って甲子園を勝ち進んだ佐賀商業は、佐賀県の初優勝という夢を背負って、佐賀県中の熱狂を背負っていた。
この頃はまだはなわが「佐賀」を歌う前だし、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」が映像化される前だしで、佐賀県自体の知名度も全国的に低かった。
その証拠に、佐賀商業の活躍を語る朝日新聞の記事にはまず佐賀県そのものの説明から入られていて、しかもそれが「九州で唯一空港がない県(※当時)」と書かれていて、「他に書きようはなかったのか」と佐賀出身の両親が失笑せざるを得ないぐらいの扱いだった。
どんだけ全国の人が知らないと思われてたんだ佐賀県。
そんな弱小県扱いの佐賀、しかも公立高校の佐賀商業がみるみると勝ち上がったものだから、全国的にも注目度は高まった。
こんなに勝ち上がるものと思ってないから予算も足りず、東京の我が家にまで寄付金を募る電話がかかってきたのを覚えている。
一番衝撃だったのは、叔父からの電話で
「真弓ちゃん!佐賀新聞がさ、佐賀商がベスト4に進んだだけでさ、号外ば出よったさ!」
と言われた瞬間だ。
何だそれもうアホなのか、おかしいだろもう、どんだけだよ、と思ったのだけれど、同時に愛おしいぞ佐賀とも感じ入る。
 
ベスト4で号外が出るとか、もうこれ優勝したら佐賀はどうなっちゃうんだろうと、わけのわからないことを心配しそうになっている自分もいた。
 
そんな心配を他所に佐賀商業は勝ち上がり、ついに決勝戦、負けていたが8回の表に同点に追いつき、4-4のまま9回表を迎える。逆転のチャンスとなる1アウト満塁を迎えるも、三振をとられ2アウト満塁の甲子園。
 
このタイミングで、佐賀県では佐賀商業野球部元監督の葬式が営まれていた……が、当たり前だが参列者は佐賀商業野球部関係者だ、みんな決勝を見ていた(笑)。
2アウトに追い込まれ、元監督の息子さんが父の亡骸に向かって「お父さん、佐賀商たのむ」と言ったところ
 
 
「うん」って言った by複数証言
 
 
 ※注:遺体です
 
その瞬間、打球は高く飛び、満塁ホームラン。
そのまま8-4で試合終了、佐賀県に初の甲子園の優勝旗を持ち帰ることとなった……「あれは元監督の最後のパワーだよ」というエピソードがね、我が家にまで聞こえてきたわけだ。
もう何なんですかね、アホですよね、壊れてますよね、おかしいですよね、狂気の沙汰だ、でもなんだこの愛すべき興奮状態、最高じゃないか佐賀県、そうとしか言えない心持ち。
  
  
事程左様に、24年前の佐賀県もとち狂っていた。
(試合詳細: https://spaia.jp/column/baseball/hsb/3377
 
 
さあ秋田県だ。
 
 
甲子園が始まった頃、岩手出身の夫と「案外東北にはじめての優勝旗を持ち帰るのは、青森山田や花巻東や仙台育英や聖光学院ではなくて、秋田や山形の高校が勢いに乗ってスルスルっと勝つパターンなのかもしれない」と、半分冗談半分本気で言っていたのだが、ここに来てそれが現実味を帯びてきた。
 
秋田県はもう極度の興奮状態だ。
機能が停止していると言ってもいい状態が、Twitterで刻一刻と報告されている。
読んでいるだけで楽しい。
人が楽しそうにしているのを見ているのは本当に嬉しくなってくる。
 
その様子を見て頭に浮かんだのは「Twitterが一般に広く普及してから、スポーツ弱小県と自覚する県民が興奮できる状況が来たのが初めて」なのかもしれない、ということだったのだ。
 
前述の1994年の佐賀県も、同じメディア環境であれば同様の興奮状態が全国に伝わっていたのではないだろうか。沖縄が悲願の優勝を果たしたとき、どれほどの熱狂があっただろうか。優勝旗が北海道に渡ったときの、道民の興奮はいかほどだったか。
 
 
あの頃Twitterが普及していたらどうだっただろう。
見てみたかったな、と思う。
タイムラインで浴びてみたかったな、と思う。
その夢が叶うことはない。
けれど、だからこそ秋田県の皆々様には、存分に、腹の底から、今、熱狂していただきたいなと思う。
その狂乱とも言える姿を見せつけてほしい。
勝っても負けても清々しく「いやー、アホだったなー。でも、最高の夏だったなあ……」と心の底から言えるだろう姿が浮かぶから。
 
明日、いい試合を期待しています。
大阪桐蔭にも、金足農業にも。
どちらにも。
思い出深く良き日になりますように。
 
 
 
(余談)
1994年佐賀商でコーチをしていた香田誉士史さんはその後北海道駒大苫小牧高校で監督になり、北海道初優勝を果たします。私は彼のことを「持ってる」人なんだろうなあとずっと思っています。

2018/05/24

春田と牧のために武蔵に捧ぐ

これは今クール最大のOL(オフィス・ラブ)ドラマ #おっさんずラブ についての気持ち悪いほどの長文ですと先に予告しておきます。視聴されていない方にはまったくもって意味不明です。
 
 
本日、田中圭さん演じる主人公「春たん」と吉田鋼太郎さん演じるヒロイン「武蔵」がくっつく展開で終わることを公式が匂わせてきまして、個人的に春たんは林遣都さん演じる「牧」とくっつくべきと強く強く願う身としてはもう耐えられません、無理、本当に無理、マジで無理。そして同じような「おっさんずラブファン牧&春たんルートを望む会」状態の視聴者はたくさんいます。マジでたくさんいます。

この状態になったオタクというものはいくらでもお金を放出するものですので、テレ朝様に置かれましてはこの際有料コンテンツで別ルート作っていただいても何も文句は申しませんし、むしろ望んでいます。1視聴あたり500円とか言われても払います、多分、最低でも5回分ぐらいは軽く。そうですテレ朝さん、稼いで頂いてまったくもって構いません。
「公式ルートの方はそのまま、牧ルートの方は赤ボタン、ちずルートの方は青ボタン」とか用意されていたらもう神です、テレ朝神(テレアサシン)とお呼びしたい。六本木方面には足を向けて寝ないと宣言してもいいぐらいの気持ちですどうぞよろしくお願いいたしますマジで頼みます本当にマジで。
 
というわけで以下は、先日Twitterに載せた牧ルートを望むばかりにちょっと頭のネジが飛んだ二人の会話でして、とにかくこれぐらい武蔵ルートが辛いんだと言うことをわかっていただきたく存じます。
 
※途中「牧春/春牧」という表現が出てきますがこれは一般的にBLカップリング記法と言われるやつで先(左)に書かれている方がタチ役を表すというルールですので知らない方はご留意を。
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<ある日の深夜、牧春か春牧かで悩むチャットで問題が発覚した>
[こへだ] あすなろ白書って、昔のトレンディドラマですけど、知ってます?
[わさび] ぼんやりと……キムタクがかませ犬だったやつですよね、あすなろ抱きしたやつ
[こ] それそれ。おっさんずラブで「黒澤武蔵がヒロイン」という公式設定を見て、突然思い出したんですよ、あすなろ白書。
あれは石田ひかりが主人公で、全く煮え切らない筒井道隆とくっつく話なんですけど、明らかにキムタクがやってる役の方が、いい男なんですよ。最初チャラいけど、健気ないいやつなんです。どう考えてもキムタク選んだ方が幸せになれそうなのに、なぜか石田ひかりはウダウダ言ってるだけの筒井道隆選ぶ話なんです
[わ] えっ
[こ] 入試の時に鉛筆だか消しゴムだかを貸してくれたと言う理由だけで筒井道隆選ぶんです。最後キムタクは青年海外協力隊への道を選ぶんです。日本からいなくなる。まじで呪ってましたその展開
[わ] ちょっと待ってこへださん、だめ、牧を捨てる春たんの話なんて聞けない、
私は今冷静さを欠いています!!
[こ] 設定としてヒロインである、という理由だけで最後春たんがくっつくのが武蔵だったらどうしよう
[わ] やだーーーーー! ヤダーーーー!
[こ] 牧がキムタク的扱いだったらどうしよう
[わ] ヤーーーーーーー!!! わたしは30年ぶりに駄々こねますよ!!
ヤダもう私耐えられない、牧にして、ヤダ、ヤダヤダ!!! 無理!!
[こ] という不安が私から離れないんです。まさに、いま、私は、そこだけが、そこだけが不安です。マジで武蔵にしたらド○えもん焼き討ちするデモしかねません私
[わ] デモしましょう。テレ朝に押し掛けましょう。このままで6,000万人の日本人女性がミザリーになります
[こ] 多分3,000万人ぐらいの男も賛同してくれると思う
[わ] いやもう、春牧、牧春とか言ってる場合じゃないですよ
[こ] 両陣営がこのときばかりは力を合わせるべき
[わ] そうだ、足んないんすよ!! 武蔵の相手がいないからこうなる!!
[こ] 武川主任も空いてるからこうなる!
[わ] 順番に埋めていきましょう、穴を。牧のために。
あー、あー、ほらあれですよ。牧の一年後輩か先輩に窪田正孝いるんですよ。
[こ] ……いますね、窪田正孝。いる気がしてきた。
[わ] で、牧と武川さんが付き合ってたことを知ってて。バーかな? バーで見かけたのかな? そんときは黙ってたんですよ。ゲイバレしたくないし。でも、その2人が別れたことを知って来たんじゃなかったでしたっけ。天空不動産東京第二営業所に。
[こ] そうでしたそうでした。
[わ] うっかり☆
[こ] 窪田正孝、社内の情報処理システム部門の人で、ほら、あの営業所の担当だったやつがちょっとメンタル病んで休職したから、みんなで業務分担しなくちゃいけなくなったんですよ。んで
「あ、そこは僕が担当しますよ」
っていって窪田正孝来たんでしたよね。やだな、忘れてましたね私達。
[わ] いや、でも待って。武川主任は待つ女ですよね。牧には気持ちがないこともわかってて……っていう包容力という名の悲しさで形作られてますよね?! 窪田正孝じゃ、ない……?!?!
[こ] あれ? ほら、そうだ、武川主任、高校生の同級生いなかったでしたっけ……
[わ] 同級生で初体験相手で腐れ縁のチャラ男でバーとかやってて、今は肉体関係ないんだけど、傷ついてる主任が毎回飲みに来ると話聞いてやって慰めてるんだけど、実は好きみたいな。ソイツ自身はヤリチンに見えるけど、武川主任への恋はひたかくしてる。
[こ] それそれ、絶対それ、間違いないですね、いましたよね。鶴瓶の息子の駿河太郎だったかな……
[わ] あー、でももう少しSめでチャラめがほしいですね……わかった、同級生バーテンは伊勢谷友介ですよ
[こ] それだ、それしかない、武川主任には伊勢谷友介だ、もうバッチリですね。
[わ] 武川主任の穴は埋まりました。これで安心。次は武蔵の穴を埋めて!!
[こ] 武蔵は春たんの日向の匂い、太陽の匂いにやられているので、そういう系の……
[わ] そうそう、昼間の匂い。若手のいいとこがいいっすよね、窪田正孝は武蔵でもいいかもしれない。
[こ] 社内システムのサーバーの調子がおかしいな、とか床に伏せて作業してたらネジが転がっちゃってね、武蔵が拾うんですよ、それがきっかけで。
[わ] 武蔵に惚れますね。いやでも昼間の匂いがちょっと足りないかー? いやでももう時間がない、のんびり心変わり待ってられない、早く! 武蔵の! 相手を! 年上好きのなんかいい感じの押しが強いやつを!
[こ] 成田凌とか。なんかコミュ障っぽい感じで登場する、IT機器メンテナンスベンダーの人で、ずっと武蔵を見てたんですよ。そうだゴリッゴリに押しまくってかっさらってくれ成田凌、押し倒してくれ
[わ] 成田凌さいこう!!! さいこう!!!!!!!
[こ] 成田凌「僕でいいじゃないですか」
[わ] ギャーーーーー!!! 言う!! 絶対言う!! 動悸がしてきた……
えー、もう天空不動産の警備やりたーい!!!
でも待って、想像したら、武蔵と並べると、濃い……?
[こ] 濃いかー
[わ] 武蔵濃すぎるからなー。その点、春たんの薄さのバランスの良さ
[こ] 薄さで言うと坂口健太郎いいんだけど、押しそうにないからなあ
[わ] あー。むしろ春たん役候補にあがってくるタイプですよね
[こ] やはり武蔵は蝶子に戻ってもらうしか無いのかな……
[わ] とにかく武蔵をお姫様扱いしてほしい。足りないのはそれ。
[こ] とにかく牧春を邪魔させない決定事項のために、何が必要なんだ…………!!!!!
あすなろキムタクルート回避!
[わ] あの……今突然気づいちゃったんですけど
[こ] はい
[わ] あの、牧に本店のエースの同期いませんでした? 岡田将生。
[こ] あ。いる、いますよ、いました。実家金持ちの、スーパーエースが
[わ] NYから帰ってきませんか?
[こ] ゴリッゴリに押してもらおう。将生に掻っ攫わせよう
[わ] きゃーーーーーー!!!!! 将生、日本には将生がいた!!!
[こ] 将生しかない
[わ] 牧春が成就するなら、牧春さえ守れるなら、もう誰が誰に掘られてもいい!!
最終回は薔薇持った将生です。武蔵に跪く将生。
[こ] 多分ですね、NYに配属される前の新人研修があったんですよ。そこにたまたまいた武蔵に惚れる何かがあったんすよ。
[わ] あったあった、間違いない
[こ] 新人研修部屋に設定されていたフロアで、何か困ったことがあった将生を武蔵が助けてくれたんですよ
[わ] オックスフォード帰りだから、いろいろ日本わかんないんですよね
[こ] 自販機の前で小銭なくて、万札しかなくて、でも千円札しか駄目なタイプの機械で、困って立ち尽くしていたら、さり気なく小銭貸してくれるんですよ。
武蔵「気にするなよ! 研修頑張れよ新人!(ウィンク」
[わ] そうですよほんと、忘れてました。3日間の新人研修合宿でオックスフォード帰りのエリート岡田将生は慣れない日本文化に苛立ってて、自販機に水買いに行こうとしたんですよ。でも小銭しか使えないやつで、万札とブラックカードしかなくて、ブツブツ言いながらポケットがさがさやってるところに、さっと誰かが入ってきて、ガタッて飲み物買うんです。
"Don't push it... !! (横入りすんなよ!)"
ってカッとなって思わず英語でちゃったら、ポンって肩叩かれて
"Don’t push yourself ! (あんまり無理すんなよ)"
ってウインクで水差し出してきたのが武蔵。
[こ] 一目惚れの瞬間だ。まさきin。恋にin。
[わ] 入りました(瞑目)。
で、日本に久しぶりに帰ってきて
“You’re amazing! 結婚してくれますか?”
で、薔薇100本跪いて武蔵に差し出す岡田将生End
[こ] テレ朝に届けなくては
[わ] とにかく俺たちが牧を守るんだ!!
[こ] 牧凌太。そもそも字がいい。字までいい。凌いでる(語彙力
[わ] そう、巨根で字までいいのに、邪魔させるわけには行かない。テレ朝にマジで暴動起こしかねないですから。
[こ] 登場が待たれる俺達の将生。
[わ] 牧春でも春牧でもいいんで、牧を守って!!
[こ] 早く、武蔵を押しとどめて!
[わ] 邪魔しないで!
[こ] 俺たちの牧!
[わ] もうどっちでもいい、左右はどうでもいいですから……カプだけは、カプだけは……!!!!!
ただ牧が笑っててくれれば!!! ただそれだけ!!!!!
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以上です。

ちなみに今最大の悩みは
6/2最終回をリアタイで視聴できないことです。
つらい。
では皆様ごきげんよう。

2018/04/19

思い巡らす父娘関係

父の葬式を終えました。
こんな季節に死ぬなんて、まるで西行の「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」のようだねえなんて、親族同士では言っていました。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13440296.html

色々心配の声もいただくのですがとても元気です。
これは父と私の関係性が、一般的な父と娘とは違う距離感と緊張感だったからかもしれません。
そして母と父、親族と父との関係性もまたきっと独特で、葬儀にまつわるあれやこれやも基本的には厳粛さや悲しみにあふれるものというよりも、どこかのどかで、どこか愉快で、場合によっては事務的で、でもひっそりもしており、他人が見たらもしかしたら不謹慎と言い出す場面もあったのかもと思えるようなものでした。
波を撮り続けた写真家であった父の戒名には「波濤」の「濤」と、ガラス・レンズを表す「玻璃」の「玻」が入りまして「あらなんだかいい名前をもらったねえ」という感覚です。
逐一書くと本当に不謹慎と怒られそうなのでここには書きませんが、面白エピソード満載なので私と直接遭遇した人は笑って聞いていただけると幸いです。
 
 
おそらく中学生ぐらいだったと思います。
ある日本棚の手前に積まれていた、父が最近読んだ本の山の一番上を手に取ると、それは長崎原爆投下後に何が起きていたのかをまとめた本でした。
どこの工場がどのように破壊されてそこには何人いたのかとか、そういった事実の調査結果が淡々と綴られているものだったのですが、ページを捲っているうちに「○○小学校、○年生、○時○分、全員死亡」という記述に、赤鉛筆で線がピッと引かれているところに遭遇しました。
父は本にあまり線を引くタイプではなかったので、その瞬間「ああ、これが父の疎開前の同級生のことなのだろう」と思いましたし、この本を買わずにはいられなかった心境と、この箇所に線を引かずにはいられなかった心境を、私はどんなに頑張っても想像すらできないと衝撃を受けたことを覚えています。
それほどに強烈な存在感のある赤線だったのです。
 
そしてまた父は「死んだらどうせ灰になる、どんな人間でもみんな同じだ」「人間は必ず最後は一人だ、誰も頼りにならない」と事あるごとに私に語っていました。
さらには「自分も母親もいつ死ぬのだかわからないのだから、早く一人で生きていけるようにならねばならない」と、私の記憶に残る限り、幼稚園生の頃には既に言われ続けておりました。
子ども特有の感情的な反論には全て「そうやって感情的にしか物を言えないやつはろくな大人にならない」と跳ね返され、ひたすら冷静なる状況把握と論理的説明を求められる日々でした。
 
つまりは、家には常に死と背中合わせのような気配を漂わせ、娘を全く子供扱いしない父だったのです。
 
この「子供扱いしない」ことに対し、自分が年を経てからは感謝しているものの、子供時代にはかなりの横暴にしか捉えられないものでした。「うちはうち、よそはよそ、にも程度があるだろう」と怒り心頭で、連日父とハードバトルモード。しかもそのバトルもただの言い合いではなく、まるで禅問答を繰り返すような「本質は何だ、その答えは薄っぺらい、真剣に考えていない証拠だ」と怒鳴られ、言い返し、それが5時間続く、みたいなものなのです。
大学進学も「私がその進路に対してどれだけ真剣に考え人生を傾けているか」について父を納得させられないと、受験できないという展開にはまっており、高3の夏休み時期など受験勉強以前に父親が説得できないという状況に陥っていて、あれは今思い出しても焦燥感がぶり返します。
……いやあ、大学行けて本当に良かったなあ、あの時は本当に危なかった(笑)。
 
そんな父が倒れたのが2010年です。脳梗塞の後遺症もあって気力が失われてしまい、父から現実と本質と向き合う苛烈さのようなものがすっかり抜け落ちている様子を見た時、精神的には私の中では父は死んだ気がします。もともと「人間はいつ死ぬかわからない」と言われ続けていましたし、父が死ぬということの腹は昔からとっくに定まっていたのだと思います。
その後はただ、父が望むように死ぬ道に向かうロスタイムのようなもので、結果的にご飯も自力で食べられる状態のままに苦しまずにすっと亡くなったのには、限りなく本人の望みに近かったのではないか以外の感想はありませんでした。
 
あとはもう、本人の主張どおりに感傷的にならずに送ることが道義であろうと、ただただ淡々と進みました。
悲しいというのは、正直なところ本当に無いのです。
父は私が自我を持ち始めた頃から死んでいたとも言えるし、その自我への影響が私から消えることがないが故に死なないとも言えるのです。
多分、父と私の関係には、感傷というものが生まれにくいのだと思います。
 
唯一センチメンタルなことを言うならば「俺は森永純ではなく、森永真弓の父、と言われて死にたい」と言っていたことを、叶えてあげられなかったなあということでしょうか。
いっぱしの人間に、父が死ぬまでにはたどり着けなかったなあと。そしてそれは自分の怠惰が所以であることが身に沁みてわかっているので、それだけは後悔として残っています。
 
 
ご報告は以上です。
改めてお悔やみの言葉を頂いた皆様に感謝申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。