1994年の夏。
勢いに乗って甲子園を勝ち進んだ佐賀商業は、佐賀県の初優勝という夢を背負って、佐賀県中の熱狂を背負っていた。
この頃はまだはなわが「佐賀」を歌う前だし、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」が映像化される前だしで、佐賀県自体の知名度も全国的に低かった。
その証拠に、佐賀商業の活躍を語る朝日新聞の記事にはまず佐賀県そのものの説明から入られていて、しかもそれが「九州で唯一空港がない県(※当時)」と書かれていて、「他に書きようはなかったのか」と佐賀出身の両親が失笑せざるを得ないぐらいの扱いだった。
どんだけ全国の人が知らないと思われてたんだ佐賀県。
その証拠に、佐賀商業の活躍を語る朝日新聞の記事にはまず佐賀県そのものの説明から入られていて、しかもそれが「九州で唯一空港がない県(※当時)」と書かれていて、「他に書きようはなかったのか」と佐賀出身の両親が失笑せざるを得ないぐらいの扱いだった。
どんだけ全国の人が知らないと思われてたんだ佐賀県。
そんな弱小県扱いの佐賀、しかも公立高校の佐賀商業がみるみると勝ち上がったものだから、全国的にも注目度は高まった。
こんなに勝ち上がるものと思ってないから予算も足りず、東京の我が家にまで寄付金を募る電話がかかってきたのを覚えている。
一番衝撃だったのは、叔父からの電話で
「真弓ちゃん!佐賀新聞がさ、佐賀商がベスト4に進んだだけでさ、号外ば出よったさ!」
と言われた瞬間だ。
何だそれもうアホなのか、おかしいだろもう、どんだけだよ、と思ったのだけれど、同時に愛おしいぞ佐賀とも感じ入る。
ベスト4で号外が出るとか、もうこれ優勝したら佐賀はどうなっちゃうんだろうと、わけのわからないことを心配しそうになっている自分もいた。
そんな心配を他所に佐賀商業は勝ち上がり、ついに決勝戦、負けていたが8回の表に同点に追いつき、4-4のまま9回表を迎える。逆転のチャンスとなる1アウト満塁を迎えるも、三振をとられ2アウト満塁の甲子園。
このタイミングで、佐賀県では佐賀商業野球部元監督の葬式が営まれていた……が、当たり前だが参列者は佐賀商業野球部関係者だ、みんな決勝を見ていた(笑)。
2アウトに追い込まれ、元監督の息子さんが父の亡骸に向かって「お父さん、佐賀商たのむ」と言ったところ
「うん」って言った by複数証言
※注:遺体です
その瞬間、打球は高く飛び、満塁ホームラン。
そのまま8-4で試合終了、佐賀県に初の甲子園の優勝旗を持ち帰ることとなった……「あれは元監督の最後のパワーだよ」というエピソードがね、我が家にまで聞こえてきたわけだ。
もう何なんですかね、アホですよね、壊れてますよね、おかしいですよね、狂気の沙汰だ、でもなんだこの愛すべき興奮状態、最高じゃないか佐賀県、そうとしか言えない心持ち。
事程左様に、24年前の佐賀県もとち狂っていた。
(試合詳細: https://spaia.jp/column/baseball/hsb/3377)
さあ秋田県だ。
甲子園が始まった頃、岩手出身の夫と「案外東北にはじめての優勝旗を持ち帰るのは、青森山田や花巻東や仙台育英や聖光学院ではなくて、秋田や山形の高校が勢いに乗ってスルスルっと勝つパターンなのかもしれない」と、半分冗談半分本気で言っていたのだが、ここに来てそれが現実味を帯びてきた。
秋田県はもう極度の興奮状態だ。
機能が停止していると言ってもいい状態が、Twitterで刻一刻と報告されている。
読んでいるだけで楽しい。
人が楽しそうにしているのを見ているのは本当に嬉しくなってくる。
その様子を見て頭に浮かんだのは「Twitterが一般に広く普及してから、スポーツ弱小県と自覚する県民が興奮できる状況が来たのが初めて」なのかもしれない、ということだったのだ。
前述の1994年の佐賀県も、同じメディア環境であれば同様の興奮状態が全国に伝わっていたのではないだろうか。沖縄が悲願の優勝を果たしたとき、どれほどの熱狂があっただろうか。優勝旗が北海道に渡ったときの、道民の興奮はいかほどだったか。
あの頃Twitterが普及していたらどうだっただろう。
見てみたかったな、と思う。
タイムラインで浴びてみたかったな、と思う。
「真弓ちゃん!佐賀新聞がさ、佐賀商がベスト4に進んだだけでさ、号外ば出よったさ!」
と言われた瞬間だ。
何だそれもうアホなのか、おかしいだろもう、どんだけだよ、と思ったのだけれど、同時に愛おしいぞ佐賀とも感じ入る。
ベスト4で号外が出るとか、もうこれ優勝したら佐賀はどうなっちゃうんだろうと、わけのわからないことを心配しそうになっている自分もいた。
そんな心配を他所に佐賀商業は勝ち上がり、ついに決勝戦、負けていたが8回の表に同点に追いつき、4-4のまま9回表を迎える。逆転のチャンスとなる1アウト満塁を迎えるも、三振をとられ2アウト満塁の甲子園。
このタイミングで、佐賀県では佐賀商業野球部元監督の葬式が営まれていた……が、当たり前だが参列者は佐賀商業野球部関係者だ、みんな決勝を見ていた(笑)。
2アウトに追い込まれ、元監督の息子さんが父の亡骸に向かって「お父さん、佐賀商たのむ」と言ったところ
「うん」って言った by複数証言
※注:遺体です
その瞬間、打球は高く飛び、満塁ホームラン。
そのまま8-4で試合終了、佐賀県に初の甲子園の優勝旗を持ち帰ることとなった……「あれは元監督の最後のパワーだよ」というエピソードがね、我が家にまで聞こえてきたわけだ。
もう何なんですかね、アホですよね、壊れてますよね、おかしいですよね、狂気の沙汰だ、でもなんだこの愛すべき興奮状態、最高じゃないか佐賀県、そうとしか言えない心持ち。
事程左様に、24年前の佐賀県もとち狂っていた。
(試合詳細: https://spaia.jp/column/baseball/hsb/3377)
さあ秋田県だ。
甲子園が始まった頃、岩手出身の夫と「案外東北にはじめての優勝旗を持ち帰るのは、青森山田や花巻東や仙台育英や聖光学院ではなくて、秋田や山形の高校が勢いに乗ってスルスルっと勝つパターンなのかもしれない」と、半分冗談半分本気で言っていたのだが、ここに来てそれが現実味を帯びてきた。
秋田県はもう極度の興奮状態だ。
機能が停止していると言ってもいい状態が、Twitterで刻一刻と報告されている。
読んでいるだけで楽しい。
人が楽しそうにしているのを見ているのは本当に嬉しくなってくる。
その様子を見て頭に浮かんだのは「Twitterが一般に広く普及してから、スポーツ弱小県と自覚する県民が興奮できる状況が来たのが初めて」なのかもしれない、ということだったのだ。
前述の1994年の佐賀県も、同じメディア環境であれば同様の興奮状態が全国に伝わっていたのではないだろうか。沖縄が悲願の優勝を果たしたとき、どれほどの熱狂があっただろうか。優勝旗が北海道に渡ったときの、道民の興奮はいかほどだったか。
あの頃Twitterが普及していたらどうだっただろう。
見てみたかったな、と思う。
タイムラインで浴びてみたかったな、と思う。
その夢が叶うことはない。
けれど、だからこそ秋田県の皆々様には、存分に、腹の底から、今、熱狂していただきたいなと思う。
その狂乱とも言える姿を見せつけてほしい。
勝っても負けても清々しく「いやー、アホだったなー。でも、最高の夏だったなあ……」と心の底から言えるだろう姿が浮かぶから。
明日、いい試合を期待しています。
大阪桐蔭にも、金足農業にも。
どちらにも。
思い出深く良き日になりますように。
(余談)
1994年佐賀商でコーチをしていた香田誉士史さんはその後北海道駒大苫小牧高校で監督になり、北海道初優勝を果たします。私は彼のことを「持ってる」人なんだろうなあとずっと思っています。
けれど、だからこそ秋田県の皆々様には、存分に、腹の底から、今、熱狂していただきたいなと思う。
その狂乱とも言える姿を見せつけてほしい。
勝っても負けても清々しく「いやー、アホだったなー。でも、最高の夏だったなあ……」と心の底から言えるだろう姿が浮かぶから。
明日、いい試合を期待しています。
大阪桐蔭にも、金足農業にも。
どちらにも。
思い出深く良き日になりますように。
(余談)
1994年佐賀商でコーチをしていた香田誉士史さんはその後北海道駒大苫小牧高校で監督になり、北海道初優勝を果たします。私は彼のことを「持ってる」人なんだろうなあとずっと思っています。